昔の「24時間テレビ」は時代の最先端を走っていたそうだけど、今はどういう方々の需要で成り立っているのかピンとこない〜当事者家族が思う「感動ポルノ」④

自分でこんなタイトルにしておいてなんですが、「時代の最先端を走る」ってのは手垢のついた古くさい表現ですね。

 「ナウなヤングがディスコでフィーバー」「高感度キッズにバカウケ」と同じようなにおいがします。

 今回は、この日本国で「感動ポルノ」を語る上で外せない「24時間テレビ」についてです。

 この日本国において「感動ポルノ」の代名詞、いや、固有名詞と言ってもいいぐらいの「絶対的な存在」であります。

 ぼくは、当事者の親として、「24時間テレビ」に対しては、畏怖の念を抱いております。

 最後に観たのがたぶん小学校高学年の頃ですから、40年近く番組を観たことがありませんが。

 昔流行ったドラマの決め台詞に、「同情するならカネをくれ」ってのがありました。

 ぼくのような、薄っぺらい経験とどこかで聞いてきたような話をつなげてもっともらしいことを言う人間ってのはたいてい実務能力に欠けていて、「24時間テレビ」のような「同情を上手に集めてカネも上手に集める」力は持ち合わせておりません。

 ですので、「感動ポルノ」は好きではないのですが、マンネリに堕しているとはいえ今でも一定の集金能力がある「24時間テレビ」のことは尊敬しております、いや本当に。

 乙武洋匡さんのnoteから引用します(カッコ内の加筆は筆者)。

なんだかんだと批判も浴びるこの番組だが、本質はチャリティ番組である。そして実際、多額の寄付金を集めることに成功している。

(東日本大震災が発生した2011年に)たった一年間で、言ってしまえばほぼ2日間で、20億円近い寄付金を集めているのだ。偽善だなんだと言われようが、実際にこれだけの寄付を集めたという事実はもっと評価されてしかるべきだ。

乙武洋匡note「【第2位】『24時間テレビ』は、障害者に何をもたらしたのか。」より引用

 公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会のサイトによると、現時点(2020年10月20日現在)の寄付金総額は43年間で計405億6,415万1,601円とのことです。

 ライターの「遥けき博愛の郷」さん障害者.comに書いた記事「感動ポルノの功罪を問う②~24時間テレビは障害者福祉の革命児だった」に、「24時間テレビ」が始まった頃の障害者をめぐる時代背景が分かりやすくまとめられております。

 少し長くなりますが、引用します(太字と蛍光マーカーは筆者)。

24時間テレビが放送される前は、障害者差別が公然と行われていました。優生保護法もバリバリ現役でしたし、障害者の安楽死を推奨する政治家さえいたほどです。脳性マヒ者団体である「青い芝の会」もレジスタンスとして活動しており、「脳性マヒ児殺害事件」への減刑嘆願には厳しく抗議しましたし、川崎市のバスが障害者を拒否したと知るや座り込みなどでバスジャックをして28時間も拘束しました。
そうした差別と反差別の抗争が起こっていた時代です。11PMの福祉企画を源流とする24時間テレビの放送は、その反響から「障害者福祉の革命児」となりました。

障害者.com「感動ポルノの功罪を問う②~24時間テレビは障害者福祉の革命児だった」より引用

1970年代は障害者差別と反差別の抗争が起こるほど荒れていました。24時間テレビは、障害者福祉の革命児として社会現象を巻き起こしました。「可哀想な障害者像」を広めることで憐憫を誘い、障害者は仮初めの生存権を得たのです。しかし、今は「可哀想な障害者像」が障害者の可能性を狭める足枷にすらなり得ます。
福祉の革命児だったのは昔の話です。…

障害者.com「感動ポルノの功罪を問う②~24時間テレビは障害者福祉の革命児だった」より引用

 「青い芝の会」の名前は聞いたことがありましたが、バスジャック事件については全く知りませんでした。

 学生運動が盛んで、政治的主張をするのに実力行使がまかり通っていた時代だったのでしょうし、社会の無理解ゆえに当事者(この言葉は当時なかったはずです)の怒りも苛烈だったのでしょう。

 「遥けき博愛の郷」さんのこの記事によると、「24時間テレビ」は1992年にバラエティー中心に路線変更し、「サライ」や「チャリティマラソン」はこの年から始まったとのことで、これが再びマンネリ化して、身体障害者のチャレンジが「感動ポルノ」と叩かれる現在に至っているとのことです。

 最初は衝撃的かつ革命的で人々の注目を集めたけどだんだんマンネリ化してきて「続けることに一番の意義がある」みたいに変質して、しまいには最初の頃の功績は忘れられ「老害」みたいな扱いを受けているーって感じでしょうか。

 かなり昔からネット上にある「コミュニティの一生」というコピペが頭に浮かび、なんとも切ない気持ちになりました。

【コミュニティの一生】
①面白い人が面白いことをする
②面白いから凡人が集まってくる
③住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
④面白い人が見切りをつけて居なくなる
⑤残った凡人が面白くないことをする
⑥面白くないので皆居なくなる

 ぼくが最後に「24時間テレビ」を観ていた小学校高学年の頃は、まだ「マラソン」「サライ」がなかったことになります。

 番組で障害者がどのように取り上げられていたかは全く覚えていません。

 放送される8月下旬は夏休み終盤、地元の祭りも終わったばかり。楽しいことなんてみんな終わってしまい、あとは2学期が始まって空は暗くなって寒くなっていくだけ。

 そんな少し憂鬱な時期だけど、「24時間テレビ」の日は、普段は深夜・未明になると砂嵐になる(放送が終了する)テレビが朝まで続いていて、番組構成も普段と違っていて、黄色いTシャツを着て募金集めをする人たちが全国一斉にまちなかに立つ姿を画面から眺めることができるわけです。

 「24時間テレビ」が演出するこういう「非日常的な感じ」は好きでした。

 田舎暮らしで刺激が少なかったってものあるでしょうし、ぼくが小学生の頃はみんなテレビを観ていて、学校に行くと前日にやっていたテレビ番組の話をしていた記憶があります。

 しかし、テレビ局が派手な演出をすればみんなそれに乗ってくれる時代は終わりました。

 わが家に遊びに来る甥っ子も、息子の同級生の女の子も、YouTubeの話ばかりしています。

 先日、息子の同級生に聞いてみました。

ねえ、テレビを観ることってあるの?

iPadの充電が切れた時ぐらいだね〜

 うちは自閉症児の一人っ子なので、健常児界隈のことはこの2人から学ぶことが多いのですが、今の小4〜中1はこんな感じなのでしょうか?

 「偽善」「感動ポルノ」などと叩かれているうちは社会にまだ認知されているわけで、「テレビ局が大動員をかけて大規模な募金活動を仕掛ける」という手法はもう通用しなくなるのでしょう。

 とはいえ、昨年の2020年[第43回] の放送で集まった寄付金の総額は8億6626万9827円(公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会のサイトより)とのことです。ちなみに一昨年は15億5015万8595円!

 「24時間テレビ」式の「感動ポルノ」は、まだまだこれだけの集金力があるわけです。そりゃ、やめないわ。

 物の見方に柔軟性がなくて面白くもなくてたまにムカつくことを言うけれど、全盛期ほどでないとはいえまだまだ稼ぎがあって頼りになるおじいちゃん、って感じでしょうか、例えるなら。

 しかし、どういう方たちが観ているのだろう。

 息子に自閉症の診断名が付いて「当事者の親」になって7年半以上になりますが、「24時間テレビ」が周囲で話題になったことは一度もありません。身体障害の当事者やそのご家族ですと、もっと身近なんでしょうか。

 謎は深まるばかりです。

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昔の「24時間テレビ」は時代の最先端を走っていたそうだけど、今はどういう方々の需要で成り立っているのかピンとこない〜当事者家族が思う「感動ポルノ」④” に対して2件のコメントがあります。

  1. 内藤織恵 より:

    24時間テレビは、正直ウンザリしています。障害者は自ら、いろいろな権利を勝ち取ってきました。青い芝はあまりにも「いかがなものか」と思うので、好きではありませんが、勇気は認めます。24時間テレビで精神障害者を取り上げないのは何故なのでしょうか?わかりません。感動ポルノだけでなく、完全に健常者からマウントとられてる感じも嫌です。「愛は地球を救う」誰が考えたのか、このキャッチコピーがいう愛とは何でしょうか。たった1日だけ障害者の事を考えるのは大事かもしれませんが、こちらは24時間365日障害者です。このギャップについてどう思っているのか知りたいです。

  2. かにママの夫 より:

    コメントありがとうございます。
    24時間テレビってやはり、精神の当事者の間でも話題にならないというか、関心が低いということなんでしょうか。
    当事者と当事者家族が「感動ポルノ」を不快に思うのは、このマウントを「取る・取られる」関係が明確なところなのだと思います。マウントを取られても金銭的支援がいただけるのならある程度我慢できるのでしょうが…。

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