当事者家族が「美味しそうなものを出しそうだけど店主が気難しいからあまり行きたくないラーメン店」のように思われないために〜当事者家族が思う「感動ポルノ」③

「感動ポルノ」というパワーワードをめぐり、これまで2本の記事を書きました。

 

 今回は、当事者家族という「一般社会から『弱者』だと思われているフシがあるポジション」に7年間身を置いてみて感じたことを中心にまとめてみます。

 これまでも何度も書いてきましたが、ぼくが「子どもに障害がある」と公言すると、周囲からこんな反応がありました。

①新興宗教や怪しいセミナーに誘われる
②同僚や知人との雑談がストップする
③親身に話を聞いてもらえる
④「頑張っている」「立派」と思われる

 ①は「弱者ビジネス」に関わる人々が「顧客(カモ)を見つけたから営業をかけてみるか」と思って近づいてくるというもので、面倒ではありますがそれほどしつこくもなくて「想定の範囲内」です。

 ②は、それほど親しくない人と雑談している時に流れで子どもの障害について触れたところ、微妙な空気になってしまって会話自体がフェードアウトしてしまう現象で、きっとこれは「当事者家族あるある」の一つでしょう。

 ③は、学校や療育、医療・福祉の関係者はもちろん、心優しい第三者からもそうしていただけることがあります。ありがたことです。

 ④は、これまで書いてきた「感動ポルノ」問題につながる話なのですが、第三者が肯定的な見方をしてくれているのに、こちらから「いや頑張っていないんで」「立派じゃないんで」とは言いにくいし、自分が頑張っていないことや立派じゃないことをムキになって説明するのもなんか変なので、こういう場合は「ははっ、ありがとうございます…」みたいな、あいまいな受け答えでこちらから会話をフェードアウトする感じになります。

 こんな経験を繰り返しているうち、「当事者家族はこうした場面でどう振る舞うのがスマートなのだろうか」と考えるようになりました。

 以下は、ぼくがこれまで考えてきたことです。

 デリケートなテーマにも触れますので遠慮がちに進めます。

 学校や行政などに対して、当事者家族が意見・要望・提言を伝え、改善を求める場合、当事者家族はたぶん、健常児の親御さんより「聞いてもらいやすい」「意見が通りやすい」傾向があるように感じます。

 先にも触れましたが、これは「一般社会から『弱者』だと思われているフシがあるポジション」にあるからであり、日本がまだまだ先進国だからです。

 例えば、子どもが通う学校側が「どう考えても不当な要求を受けている」と特定の保護者の言動を問題視したとしても、障害児の保護者が相手だと萎縮して言いにくいというケースもあるのではないでしょうか。

 学校側と揉めている問題とは無関係に、障害児の保護者が「障害者を差別している」「障害者の親の苦労を分かっていない」と感情に任せて声を荒らげてしまえば、言い分が通ってしまいそうな感じがあるんです。

 開き直った「弱者」(と思われているポジションの人)って案外強いんです、特に「タテマエ」が重視される行政や政治の現場においては。

 であるからこそ、当事者家族は「自分は正しくて相手は間違っている」「こちらは正義で向こうは悪」といった、客観性に乏しい二元論に陥らないことが大事だとぼくは思います。

 ただ、ここから先が難しいところです。

 ぼくがここまで書いてきたのはあくまで一般論であって、その方の身に「どんなことが起こってどんな対応をするか」ってのは「ケースバイケース」です。当たり前のことです。

 「あんたはたまたま学校や行政とうまくいっているから、そんなキレイゴトが言えるんだ」と言われれば、「そうかもしれません」と答えるしかありません。

 理不尽な目に遭って怒りを爆発させている人の目の前で、「もっと落ち着いて」「そんな言い方では周囲が味方してくれないよ」と助言するのが傲慢であることは、理解しているつもりです。

 他の分野に話に置き換えてみます。

 ネットで性被害や夫婦別姓といったジェンダー系の議論になると、被害者の側に寄り添った批判が主に女性から寄せられるのに対し、「もっと落ち着いて」「そんな言い方では社会が味方してくれないよ」といった指摘が、主に男性と思われる方々から出てきます。

 主張(批判)している側が心の底から憤っている時に、「言い方が悪い。落ち着いて」とたしなめられたら、もっと腹が立つでしょう。

 そう言ってたしなめようとする人に、加害者側に立って問題の論点をずらそうとする意図があるのではないかと疑うことは自然なことです。

 とはいえ、「もう少し上手な言い方をすれば意図が伝わりやすいのに」という場合も、あるとは思います。

 話が飛ぶように見えるかもしれませんが、これ、昔ながらの「左翼系の知識人」がなぜ今の社会で敬遠されているのかというのと似た構図だと思うんです。

 「その程度の知識もないくせに、お前は障害について語るのか」と。

 「知識のある人」から面と向かってそんなふうに言われたら、話を続けたくなくなるでしょう。

 「障害」の部分を、「フェミニズム」「政治」「経済」「差別」「沖縄」「貧困」「被災者」…と、いろんなテーマに置き換えてみると。イメージしやすいかもしれません。

 「子どもに障害がある」という話をすると黙り込んで雑談をストップさせてしまう人には、こんなふうに思われるのを避けようとする防御本能が働いているのかもしれません。

 「障害者に対する認識がおかしい」などとマウントをとられるのもイヤでしょうしね。

 当事者家族が「美味しそうなものを出しそうだけど店主が気難しいからあまり行きたくないラーメン店」のように思われるのは、障害に対して理解していただける人を増やすのにマイナスなんだと思うんです。

 せっかくその店のラーメンについて興味を持ってくれて、「初めての店だから緊張するなぁ」と思って入ってみたら、やたら不機嫌が店主が「私語をするな!」「胡椒や紅生姜を最初から入れるんじゃない!」「スープを残すな!」「食べ終わったら3分以内に出ろ!」などと怒鳴り続けていたら、どんなに美味しい店でも二度と行きたくなくなりますよね。

 始めから差別意識丸出しで攻撃してくる第三者に対しては身を守るために防御しなければいけないでしょうが、善意の第三者に対してマウントを取るってのは得策ではないと思います。

 「当事者家族としてどう振る舞うのがスマートなのか」というテーマは深いです。

 まだまだ経験を重ねる必要がありそうです。

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