知的・発達・精神障害児(者)はそもそも出演の機会がほとんどないようだ〜当事者家族が考える「感動ポルノ」②

「感動ポルノ」(原語ではInspiration Porn)という言葉を作ったのは、オーストラリアのコメディアン、ジャーナリストであり障害者人権活動家であるステラ・ヤングさん(2014年12月に死去=Wikipediaより)です。

 亡くなられる8カ月前に「TED×Sydney」で行った「私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく」と題したトークを貼ります。

 英語学習サイト「DigitalCast」の「TED日本語」から、日本語と英語の字幕が付いた映像を見ることができます。直接のリンクはこちらです。

 DigitalCast「TED日本語」から引用します(太字と蛍光マーカー、改行は筆者)。

手が無い 小さな女の子が 口にペンをくわえて 絵を描く姿
カーボン・ファイバーの 義肢で走る子供
こんなイメージが 実に沢山あります
私たちは これを 「感動ポルノ」と名付けました

これらのイメージの目的は 皆さんを感動させ やる気を起こさせることです
ですから 皆さんがこれを見ると 「自分の人生は最悪だけど 下には下がいる 彼らよりはマシだ」
でも もし皆さんが 「彼ら」だったらどうしますか?

Digitalcast「TED日本語 – ステラ・ヤング: 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく」より引用

 このスピーチでは、「ポルノ」と名付けた理由について、 ある特定の人たちをモノ扱いして 他の人が得するようになっている、健常者のために障害者を利用しているためだとしています。

 こうした「搾取する・される」という露骨な上下関係だけでなく、「『見る側』の理性が弱まり思考を鈍らせる」「『見られる側』がちゃんと同意して『出演』しているのかどうか分からない」という点においても、確かにポルノのようでもあります。秀逸な表現です。

 スピーチでは、15歳の時に何の功績もないのに地域のコミュニティーから賞を与えられそうになったこと、「知らない人が近寄ってきて 私のことを勇敢だとか 感銘を受けたとか 言ってこられた経験が 数え切れないほどある」というエピソードを挙げています。

あの人達は まるで私が朝起きて 自分の名前を覚えていたら 賞賛するぐらいの勢いです(笑) モノ扱いですよね

Digitalcast「TED日本語 – ステラ・ヤング: 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく」より引用

 このへんのくだりは、重度自閉症・中度知的障害児の家族として少し引っかかったところです。

 Wikipediaによると、ステラ・ヤングさんは「先天性の骨形成不全症であり、人生の大半を車椅子で過ごした」とあります。

 演説で話した内容からは、高い知性とユーモアのセンスが感じられます。

 わが息子をはじめとする知的障害者にこんなスピーチは無理でしょうし、これだけの高い知性とユーモアのセンスを兼ね備えた方は、健常者の世界においても極めて稀でしょう。

 ステラ・ヤングさんがこのスピーチで挙げた「障害者」には、知的・発達・精神といった脳に関係する障害当事者は含まれていないのではないか、と受け止めました。

 そんな感じでモヤモヤしていたところ、乙武洋匡さんがnoteに書いた記事に回答がありました。

 さすが乙武さん、頼りになる。引用します(カッコ内と蛍光マーカーは筆者が加筆、以下同)。

また、彼女(ステラ・ヤングさん)はそうした場面で紹介されるケースの多くは身体障害者であり、精神障害者発達障害者が取り上げられることはほとんどないということも併せて指摘している。

乙武洋匡note「【第2位】『24時間テレビ』は、障害者に何をもたらしたのか。」より引用

 そうなんですね。元となる記事をネットで見つけることはできなかったのですが、ステラ・ヤングさんが精神障害者や発達障害者についても言及されていたと知れたのはうれしいです。

 パラスポーツの種目分けでも感じますが、知的障害って障害の軽重がパッと見でわかりにくいんです。

 わが息子もしかり。30秒ぐらい一緒にいるだけなら、ただの「目線が合わなくて何考えているか分からない子」にしか見えないでしょうから。

 で、分かりにくいから「感動ポルノ」の題材になりにくい。

 テレビなどの映像メディアは視覚的な分かりやすさが非常に重要でしょうから、ビジュアル的に「映えない」知的・発達・精神はやはり向いていないのでしょう。

 説明のために「ぴょんぴょん跳ねて奇声を発する」場面をガッツリと流すってのも、なんかアコギな印象を与えるでしょうしね。

 話は変わりますが、乙武さんも「マジメで健気に頑張ってる人」というレッテルを貼られたのがしんどくてならなかったのだといいます。

私はそんなレッテルを剥がしたくて、いまから21年前に『五体不満足』という本を書いたのだが、読んでくださった方のほとんどの感想が「感動しました」だった(まさかその18年後、まったく予期せぬ形でそのレッテルを剥がすことに成功するとは思ってもみなかったが……)

乙武洋匡note「【第2位】『24時間テレビ』は、障害者に何をもたらしたのか。」より引用

 乙武さん、自らそこに踏み込みましたか。表現者としての「身の削り方」がすごすぎます。

 「マジメで健気に頑張ってる人」という表現にはもともとプラスの評価が込められていることもあって、「それは違う」と指摘するのは、言われた当事者本人以外は憚られる傾向があったのでしょう。

 そんな中で、知的でかつユーモアのセンスあふれる当事者のステラ・ヤングさんや乙武さんが発言されたのは、ありがたいことです。

 「ユーモアのセンス」は非常に大事です。

 これが欠けると、「感動ポルノ」を好む素朴で心優しい方々を傷つけ、下手をすると逆上させてしまう危険性もありますので。

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知的・発達・精神障害児(者)はそもそも出演の機会がほとんどないようだ〜当事者家族が考える「感動ポルノ」②” に対して2件のコメントがあります。

  1. 内藤織恵 より:

    ブログ記事拝見しました。
    私の意見を取り上げてくださって、恐縮です。
    骨形成不全といえば、浅香遊歩さんという方がいます。
    アメリカ留学などをする、たくましく活発な方で
    結婚し、子供もいます。
    一度だけお会いしたことがあります。
    黛正先生の娘さんが、重度のてんかんと中程度の知的障害があるのですが
    「のぞみさん、あなたも将来結婚して家庭を持つのよ」と言っていました。
    健常者と変わらない人生を全うするのは、当たり前のことだという考えです。
    私は少し驚きましたが、そうであるべきだと思っています。
    障害があっても、あきらめなければ何でもできる。
    そこに賞賛や哀れみはいらないのですね。
    今回改めて気づかされたところです。

  2. かにママの夫 より:

    コメントありがとうございました。
    ぼくは、障害児の親になる前から「障害者の感動物語」系のお話に全く興味を持てず、「自分が共感性に乏しい冷たい人間だからそうなのかも」と思っていたのですが、「感動ポルノ」という言葉を知って、いろいろと見えてきました。
    そうなんですよね、「健常者と変わらない人生を全う」できるように、「健常者と変わらない人生を全う」できるための支援が大事なんですよね。賞賛や哀れみでできている「感動ポルノ」ではなくて。
    20年以上前に読んだ「車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性」(小山内美知子著、文春ネスコ)という本がすごく良かったです。賞賛や哀れみではなくて、人間として当たり前のことが当たり前に書いてあって、逆に新鮮でした。「そりゃそうだよね」って。

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