親亡き後を見据えた知的障害者の「生き方」「住まい」について、大先輩から教えていただいた〜やまゆり園障害者殺傷事件より004
10月24日に新潟市中央区で開かれた「津久井やまゆり園障害者殺傷事件を考え続ける学習会」に参加しました。
「事件に関する本を読み始めた」とこのブログで書いたところ、以前仕事でお世話になった方からお声掛けいただきました。事件から5年以上経った今でも地元・新潟で「考え続ける学習会」が開催されていることに感動しました。
講師は、被害者の父親でやまゆり園家族会前会長の尾野剛志さんと、障害者自立支援団体「自立生活企画」(東京)代表の益留俊樹さんのお二人でした。
尾野さんは、この事件を語る上での最重要人物の一人で、これまでぼくが読んだ本にも数多く登場していました。
事件で大けがを負った息子の一矢さんは現在、「重度訪問介護制度」という国の介護サービスを使ってアパート暮らしをしていて、「自立生活企画」の介護者が24時間切れ目なくケアする形になっているとのことです。
会場でいただいた資料によると、一矢さんは1973年の早生まれですので、学年でいうとぼくの2年下で、現在48歳。同じ時代を生きてきた方です。勉強会で尾野さんは、「親である自分の死後」を見据えたお話もされていました。
「自分語り」に少し戻ります。
このブログでは前回、2年半後の支援校中等部入学に向けて通学用のコミュニティバスに乗る練習をしたという話を書きました。
妻は日々の家庭療育を通じて、「できること」を少しずつ増やしていく作業を続けており、「1カ月後・1年後にこんなことができるようになるといいよね」という少し先の目標というか見通しみたいなものはありますが、息子が成人して自立する姿がどうしても浮かびません。
10代後半〜20代前半のお子さんを育てている先輩ママさんのお話をうかがう機会は定期的にあり、非常に勉強になるのですが、やはり息子に当てはめて想像することは難しいのです。
障害者の親には「自分が死んだ後に子どもがちゃんと暮らせるのだろうか」という不安が常につきまといます。
ただ、考えてもキリがないことですし、当面は「できることを増やすことが最大の『親亡き後』対策になる」との信念でやっていこうと。
それでも、妻もぼくも死んだら息子は「後見人を指定して施設に入るのだろう」という、漠然としたイメージのようなものはありました。
しかし、この事件に関する本を読み、障害者運動の歴史の一端に触れるうち、「施設に入るのだろう」という漠然とした考えがいかに無責任で、息子=当事者のことを真剣に考えていないかということを思い知らされました。
療育をしているお子さんがいる親御さんにとって、この悲惨な事件については知ることは、自分が死んだ後も障害とともに生き続けていくお子さんの将来について考えることにもつながるはずです。
事件の現場となった「津久井やまゆり園」は1964年、神奈川県直営の施設として相模原市(旧相模湖町)千木良地区に建設され、2005年からは社会福祉法人・かながわ共同会が指定管理者として運営を引き継ぎ、2009年以降の入所者の定員150名、短期入所者は10名でした。(「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件」[西角純志著・明石書店]P22~23より引用)
別の本には「知的障害者の中でも特に対応が難しい『強度行動障害』のある人が多い施設」(*1)という説明もありました。
事件後、入所者家族の要望も受け、神奈川県が園の建て替え計画を発表したが、障害者団体などから「同じ場所に再び大規模施設を造るのは時代錯誤だ」「入所者本人の意向を確認すべきだ」といった反対意見が多く寄せられ、紆余曲折の末、これまで施設があった千木良地区と、芹が谷地区の2カ所に以前より小規模の園舎を建設することになりました。(同P34~36より)
「朝日新聞DIGITAL」の記事「やまゆり園の新園舎が開所 『やっと帰って来られる』」によると、千木良地区の新園舎がことし8月から入居が始まり、12月には芹が谷地区の新園舎も完成するとのことです。
やまゆり園の建て替えをめぐる家族会と障害者団体の対立については、これまで読んだ本に何度も出てきました。
今回の勉強会で講師を務めた家族会前会長の尾野さんは当初、大規模施設を建て替えるのに賛成の立場でしたが、次第に考えを変えていきます。
その経緯については「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)に載っています(2*)ので、ご興味がある方はぜひお読みください。
ぼくは事件の本を読み始めた頃、当事者や当事者家族ではない外部の障害者団体が、家族会が望む建て替えに反対したことに強い違和感を覚えました。
当事者家族からすれば、よく知りもしない部外者から自分たちの要望を「時代錯誤だ」と批判されるのは面白くないでしょう。気持ちは分かります。
加えて、「本人(当事者)の意向を確認すべきだ」と言っても、知的障害者の意向をどのように確認するかというのは、そんな簡単な話ではありません。
自閉症・知的障害の当事者の界隈には、介助者(Facilitator)を経由して行うコミュニケーション=FC(Facilitated Communication、ファシリテッド・コミュニケーション)という、かなり危険なものが存在します。
FCについては以前こちらに書きました。
知的障害者の証言を巡っては、過去には警察・検察の自白誘導(強要)よる冤罪事件が数多く発生しました。
障害がなくたって、例えばメディアが実施する世論調査の際、質問の仕方次第で答えを一定方向に誘導されてしまう危険性もあります。
ただ一方で、事件の本を読み進めるうちに、知的障害がなくて論理的思考力も優れた障害当事者の方々が訴える「入施施設という存在そのものが持つ非人道的かつ根本的な問題」に触れることで、自らの視野の狭さや考えの浅さを痛感するようにもなりました。
「入所施設という存在」については、後日まとめるつもりです。ここでは、学習会で聞いた尾野さんのお話について書きます。
学習会で尾野さんは、一矢さんをやまゆり園に入れた時の心境を「息子の気持ちをちゃんと見てあげないまま施設に入れてしまった」「県立の素晴らしい施設だし、職員も一生懸命やってくれるし、ついのすみかだと思っていた」と振り返っていました。
施設に入れたくても定員がいっぱいで入れることができない親御さんもおられるでしょう。しかも、公営の大規模な施設であれば安心、と考えてしまう気持ちも理解できます。
尾野さんは事件後、取材対応などでいろんなつながりができ、一矢さんのドキュメンタリー映画を撮影していた監督から、重度訪問介護という制度を使った「介護者と2人でのアパート暮らし」を勧められ、障害者自立支援団体「自立生活企画」が関わって2020年8月から神奈川県座間市のアパートで暮らしているそうです。
暮らしている中で、一矢さんが時々大声を出して2階の住人から「自立生活計画」に苦情が入り、天井の防音工事をしたり住人に謝りに行ったりと対応を講じたことがあったそうです。
また、一矢さんの人となりや障害について知ってもらおうと、ことし5月には「かずやしんぶん」と題した小冊子を作成し、近隣の方や関係者に配ったといいます。
一矢さんの介護には15人の介護者が登録されていて、24時間切れ目なく一緒にいる状態が確保されており、「近所のスーパーで買い物をしたり介護者の車でドライブしたりと穏やかに過ごしている」(尾野さん作成の資料より)とのことです。
介護者の中には、実の家族に匹敵するほどピッタリと合う人がいる一方で、あまり気が合わないと思われる人と一緒だと大声を出したりおねしょをしたりすることもあるとのことですが、尾野さんは介護者に対して一切、口出しをしていないそうです。
その理由について、尾野さんは「ぼくたち親はすぐ死んでしまうから、口出ししても仕方ない」と語っていました。
この言葉にとても感銘を受けました。親が死んでいなくなっても、子ども(当事者)と介護者の生活は続くわけです。
親が口出ししないと成り立たないような関係しかできていなければ、親が死んだら立ち行かなくなります。障害を持つ子どもを育てる親の心構えとして、普遍的なものだと思いました。
「自立生活企画」代表の益留さんのお話もすごく面白くて勉強になったのですが、長くなりましたので、後日あらためて書くつもりです。
「子どもを同じように自立生活をさせてみたいがどうしたらいいか」といった問い合わせが尾野さんのもとに寄せられるそうですが、お二人の話を聞いたぼくの感想としては、重度訪問介護という国の制度を使っているとはいえ、さまざまな幸運や環境が整わなければ、一矢さんと同じような生活を送ることはほぼ不可能だと思いました。
そもそも、1人の障害者向けに15人の介護者が登録していて24時間切れ目なく一緒にいる態勢を整えるって、地方在住では想像がつきません。
都市部だって、数十人の障害者向けに同時にこういったサービスを展開するとなると、介護者の確保とともに電車のダイヤ調整並みのマンパワーが事務作業にも必要となることでしょう。
一矢さんの自立生活はかなりレアな先進事例といえますが、参考になることも多々あります。「障害者の親」の大先輩として、ぜひ今後も情報発信を続けていただければうれしいです。
(1*)「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P200
(2*)「被害者・尾野一矢さんめぐる大きな取り組み」P198~213
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