みんなが「さん」付けで呼び合ってていい雰囲気なのに、その平和をかき乱そうとする「あだ名禁止」というパワーワード

民放のワイドショーが「あだ名禁止の学校増加」という話題を取り上げていました。

 息子が通う小学校は、あだ名が禁止されているかどうかは分かりませんが、呼び方が「さん」で統一されているようです。

 先生が児童を呼ぶときはもちろん、児童同士でも「さん」以外で呼び合うのを聞いたことがありません。

 「さん付けで統一」という取り組みについては、だいぶ前に新聞でも読んだことがあります。全国的にそういう動きがあるんですね。

 ぼくが観た民放のワイドショーによると、「あだ名禁止」が普及した背景には、2013年にできた「いじめ防止対策推進法」で、暴力だけでなく精神的な苦痛もいじめと認定されるようになったことがあるとのことでした。 

 そういえば、息子が入学したばかりの頃はまだ慣れなくて、息子のクラスメートを「くん・ちゃん」付けで呼んだこともありました。

 でも、いつの間にか妻もぼくも「さん」で統一するようになっていました。

 慣れてしまえば違和感は全くないですし、今は逆に「くん・ちゃん」と性別で呼び方を変える方に違和感を感じるようになりました。

 息子が通う小学校の「さん付け統一」を知った時は、男女の区別・差別をなくすことと、LGBTの方たちへの配慮が理由だと思っていました。

 そういう発想が出発点だったのだろうとは容易に想像できますが、「いじめ防止に役立つ」という視点はありませんでした。

 「いじめ防止」という点では、少し前に聴いたコミュニティーFMの番組で、小学校での「さん付け」について取り上げていた際、番組に出ていた学校の先生が「普段から『さん付け』をしていると、児童同士でケンカになった時もお互いを乱暴な呼び方になりにくい」とおっしゃっていました。

 これは新たな「発見」でした。確かに、お互いを「さん付け」で呼び合ったまま口げんかをするのは難しそうですし、一定の効用はありそうです。

 ただワイドショーについては一点、気になったところがあって、「あだ名禁止」という「強めの言葉」を前面に出して、少しセンセーショナルな取り上げ方をしていたことです。

 ぼくが観たワイドショーでは、子どもの頃に学校でひどいあだ名をつけられて苦しんでいたというタレントさんが登場し、「それでも『あだ名禁止には反対』」とコメントしていました。

 このタレントさんの場合、「ひどいあだ名を付けられて傷ついたけど、その後は素敵なあだ名に救われた」って話でしたので、この方に「あだ名禁止に賛成?反対?」と二者択一で聞くのはどうかなぁと思いました。

 物事を何でも「賛否」「善悪」「好き嫌い」と二分して単純化すると分かりやすくなりますし、子どもの頃にあだ名でいじめられた有名人に「あだ名禁止には反対」と語らせるのは意外性があります。

 テレビの演出としては優れているのかもしれませんが、取り上げたテーマに誠実に向き合っている感じはありません。
 ワイドショーに誠実さを求めるのもヤボかもしれませんが。

 「禁止」って言われれば反発が生まれるのは自然の理であって、「クラスメートをどう呼ぼうとわたしたちの勝手でしょ」「なんで先生や学校から私たちの自由を奪おうとするんだ」という児童が一定数出てくるでしょうし、出てきた方が健全だと思います。

 そういう子たちに向き合っていかに「気付き」や「学び」を与えるのかが教育者としての醍醐味なのではないでしょうか(教育者の皆さま、ハードルを上げてしまって申し訳ありません)。

 また、禁止となれば、「表現の自由を制限する」「言葉狩りだ」という反論が出てくることも当然でしょう。


 ぼくは、息子の通う小学校があだ名を禁止しているかどうかは分かりませんし、興味もありません。

 はっきりしているのは、教職員も児童も自然に「さん付け」で呼び合っていて、障害があるわが息子はいじめられていないし、あだ名でも呼ばれておらず、毎日楽しそうに登校していることです。

 息子が学校で穏やかに過ごせているのにも、「さん付け統一」のおかげもあるのかもしれません。

 このワイドショーを観たのが3日前ですが、先ほど「あだ名禁止」でググってみたら、番組の内容を大急ぎで要約しただけと思われるネットメディアの記事から、テレビタレントが「わたしはこう思う」と語るYouTubeチャンネルに至るまで、出てくる出てくる…。

 「嫌なあだ名を付けられて苦しむ子どもをなくそう」という教育現場の思いから始まったであろう「さん付け統一」「あだ名はやめよう」という取り組みを、ワイドショーが「あだ名禁止」に「賛成か反対か」と単純化することで「誰でも語りやすい話題」として広まり始め、ネットでのアクセス数で金を稼ごうとする大人たちが飛びつき、さらに議論が単純化されて非生産的な「対立煽り」が進み、教育現場の方々の当初の思いからどんどん離れていくーこういう構図は見たくありません。

 繰り返しますが、そもそもの始まりは「呼ばれたくないあだ名で呼ばれるのはイヤだ」という、人間として当然の訴えからだったはずです。

 今から数十年以上前は、知的障害や精神障害、発達障害、身体障害、視覚障害、聴覚障害といった障害当事者の方々、障害当事者以外でも、今でいうLGBTの方々もそうですし、特定の人種、職業、身体的特徴、家庭環境など、さまざまな境遇にある人を軽んじる差別用語がありましたが、いまは公に使われなくなりました。

 差別用語って「長年の差別意識が染み込んだ『あだ名』」みたいなものではないでしょうか。

 言葉に罪はありません。言葉に染みついている「悪意」に罪があるのです。

 「あだ名を禁止する」という手段の是非だけではなく、「どうやったらイヤなあだ名で呼ばれる人を減らすことができるか」という目的の部分にも着目していただきたいです。

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