当事者家族なのにパラリンピックにあまり興味・関心が湧いてこないのはなぜか〜当事者家族が思う「感動ポルノ」⑥

前回の記事では、東京五輪・日本選手団の結団式でのオリンピック選手たちのコメントが炎上したことから、アスリートたちも「感動ポルノ」の「被害者」、ないしは、「同意をしていないのに出演させられている役者」なのかもしれないーということを書きました。

 だとすると、「障害者+アスリート」の2大要素を兼ね備えた選手が出場するパラリンピックは、最強の「感動ポルノ」コンテンツなのかもしれません。

 しかし、東京パラリンピックといっても、本体の五輪が燃え続けている状況ですので、どうなるのか先が見通せないですが、開催する・しないも含めて、主催団体や日本政府の意思決定のプロセスを注視していきたいと思います。

 ぼくの個人的なイメージですが、パラリンピックって、突発的な疾患や事故などで身体機能の一部を失ったアスリートが困難を乗り越えて挑戦する舞台ーというふうに思っていました。

 重度自閉症・中度知的障害児の親になっても、「24時間テレビ」と同様、パラリンピックがぼくの周りで話題に上ることは全くありません。

 身近に関わっておられる方がいれば親近感が湧くのでしょうけど、かすりもしません。別世界のことのようです。

 パラリンピックに知的障害者の種目があるのは知っていますが、知的障害者の保護者ゆえ、さまざまな疑問が湧いてきます。

 障害の軽重で参加資格を分けているのでしょうけど、その分け方が果たして妥当なのかどうか。

 分け方が妥当でなさそうなグループ内で勝敗を競ったところで、その「勝ち・負け」に意味はあるのか。

 スポンサーが付いている世界的な大会で「『勝ち・負け』ではなくて、障害者が参加して挑戦することに意義がある」などとキレイゴトを言う人がいたとしても、信用できない感じがする。

 健常者の「体育会系」の世界と同様、パワハラや非合理性がはびこっているのではないかという疑念が払拭できない。

 とまあ、いろいろとモヤモヤすることがあって、息子にパラスポーツを勧める方がおられたとしても、ちょっと引いてしまうと思います。

 そんなふうに考えながらGoogle検索をしていたら、日本財団パラリンピックサポートセンター「パラリンピック研究会」のサイトで興味深い論文を見つけました。

 論文のタイトルは「パラリンピックと放送に関する研究について⑴─平昌パラリンピック大会の放送に対する障がい当事者の解釈・態度に関する調査報告─」です。

 一部を抜粋します(太字、蛍光マーカーは筆者)。

パラリンピックへの関心は,本人回答の障がい者全体(36.2%)の方が健常者(28.3%)よりも 高く,特に身体障がい者に関しては,パラリンピックに対して相対的に関心度が高いことが示された。

日本財団パラリンピックサポートセンター・パラリンピック研究会「パラリンピックと放送に関する研究について⑴─平昌パラリンピック大会の放送に対する障がい当事者の解釈・態度に関する調査報告─」P54より

視聴しなかった人々の中で,健常者よりも本人回答の障がい者全体の方が「障がい者スポーツに興味がない」(12.5%),「パラリンピック選手は,自分とは遠い存在だ」(5.9%)と回答した割合が高いことは示唆的な結果で あろう。

P57より

本調査の結果,パラリンピックに対する解釈や視聴態度については,特に障がいの種別によって傾向が異なることが示唆された。特に,視覚障がい者聴覚障がい者に関しては,パラリンピック視聴に対する好意的な解釈,態度が多くみられることに対して,知的障がい精神障がい発達障がい者に関しては,パラリンピック放送への関心度や期待が,相対的に低い様相が示されている。

P57より

 ぼくがなんとなく考えていたことが、客観的なデータと分析によって裏付けられていました。

 「想像通りの結果」「当たり前」と思われる方もおられるかもしれませんが、こういう地味な研究って重要だと思うんです。

 以前こちらで紹介させていただいた本のことを思い出しました。

 この論文にある、「パラリンピック放送への関心度や期待が相対的に低い」グループに、知的障害者とともに、精神障害者と発達障害者が入っていたのには、「そうだろうな」と大きくうなずいたところです。

 障害の軽重で競技の種別分けをする際、知能指数(IQ)というあんまり当てにならない指標が知的障害者にはありますが、精神や発達の場合は指標がもっと「あいまい」「千差万別」でしょうから、知的障害がない精神障害・発達障害の当事者の方は、障害の軽重で線引きして勝敗を競うことの「うさんくささ」をより鋭く感じ取れるのではないかと思います。

 当事者家族なのにパラリンピックが自国で開催されることに全く興味・関心が湧いてこないのは、自分が共感性に乏しい薄情な人間だからではないかと思っていて、そういう要素だけではないことが分かりました。

 論文はこんなふうに締めくくられています。

一言で「障がい」といえど,当然その状況や個別の文脈は様々に存在している。そのため,障がい当事者の観点から物事を捉える視点においては,「障がい」というただ一つのカテゴリで論じるのではなく,個別の文脈において,認識や行為にどのような傾向があり,その傾向はどのような条件に規定されているのかを捉えていくことが重要となろう。

P61より

 これまた意外性のかけらもない地味な着地点ですが、とても重要な指摘です。

 障害の種別による分断をあおるのではなく、「この種別はこの辺のことが足りないよね」ってことを丁寧に解きほぐしていくのは意義のあることだと思うからです。

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