ADHDを自称する大人との付き合いには慣れているけれど、ADHDの子どもは全く勝手が違うし経験則も通用しないと痛感した話

2022年の年明けは、とても穏やかでした。

 昨年の三が日は、この地域で今まで経験したことがないレベルの降雪で道路除雪が間に合わず、住宅街の細い道が通行不能になってしまうほどで、雪壁で道路の幅員も狭くなっていたので車の運転を最初からあきらめ、ずっと家でビールを飲みながら雪かきをしていました。

 ことしは降雪量が少なく、かつ、気温もそれほど高くなくて、息子の雪遊びにも日常生活を送るにも「ちょうどいい」穏やかな天候でした。

 このお正月で「荒れた」といえば、1日夕方のテレビ番組でフレンチのシェフがファミマのツナマヨおにぎりを食べないで不合格の評価を出そうとしたあの一瞬ぐらいではないでしょうか。

 ネットでものすごく炎上しています。

 この番組はたまたま、実家で酒を飲みながら家族全員で観ていました。普段はテレビを観る習慣が全くないのですが、こんなに話題になる(炎上した)シーンを観ることができたのはラッキーでした。

 ネットのテレビネタに付いていけるのが無邪気にうれしいです。だから、ここに書いています。

 ただ、あのフレンチシェフのパワハラめいた不快な言動は番組の演出でしょうし、批判だらけとはいえネットでこれだけ話題になれば、演出としては大成功なのでしょう。

 他人を不快にさせて注目を浴びて金を稼ごうという手合いはスルーするに限ります。

 …とまあ「時候のあいさつ」はこれぐらいにしまして、今回は、年末にADHDの男の子(息子より1歳年上=小5)が泊まりでわが家に遊びに来てくれた時の話を。

 ぼくは素人ながら、ADHDについては少し「知っているつもり」でいました。根拠の薄い自信がありました。

 大学時代は、理学部だったこともあって、先生も同級生も「それっぽい」人がたくさんいました。

 1990年代前半でADHDという言葉がメジャーになる前(誕生する前?)でしたので、「頭はいいけど付き合いきれない変人」と、その人たちを自分なりに分類していました。

 ぼくも、学部外の同級生や小中高校時代の同級生から、そういう変人だと思われていたかもしれません。

 しかし、頭の回転と「変人度」が足りなかったこともあって研究職には就かず、文系就職(今や死語かもしれませんが…)しました。

 そして意外なことに、就職してからも、同業他社も含む同僚や仕事先の人々とのお付き合いの中で、「ADHDを自称する大人」に結構出くわしました。文系職場にもいるんですね。

 しゃべりが不自然にせっかちだったり、第三者との距離感がものすごく近かったり、常に会話が成立していなかったり(会話しているように聞こえるけれど、実質的には「独り言の積み重ね」で噛み合うことがない)といろいろですが、共通するのは「頭の回転が速い」ことです。

 ただ、ぼくにADHDを自称してきた彼ら・彼女らがちゃんと専門家の診断を受けているのかどうかというと、極めて疑わしいところです。

 「生きづらさを感じている」というより、「周囲から浮いていることをたまに自覚することがあるけれど、自覚できているだけ自分はマシかもしれない」といった認識をしているだけのように見えます。「とりあえず自称しておくか」と。

 そのぐらいのレベルの「変人度」です。大学時代にたくさん見てきて「本格派」とは明らかに異なります。

 話を戻しますが、遊びに来てくれた男の子と妻はかなり親しいのですが、ぼくはほぼ初対面でした。

 そんな関係性の中、妻がパートに出掛けている半日間、彼と息子とぼくの3人で過ごすことになりました。

 ぼくとしては、「自称ADHDの大人=変人度の低い変人」と付き合うノウハウはあるし、重度の自閉症がある息子とずっと暮らしているのだから、「知的障害がないADHDの子どもなんて余裕だ」と思っていました。

 しかし、全く歯が立ちませんでした。

 半日間でやったことといえば、3人でコミュニティバスに乗り、車でショッピングモールに出掛けてフードコートで食事をし、ゲーセンを回り、家に戻って庭で雪遊びをしたぐらいです。

 それだけなのに、ものすごく疲弊しました。自信は打ち砕かれました。

 妻によると、彼は支援級と普通級の両方に在籍しており、専門の医師にも定期的に診てもらっていて、薬も服用しているとのことでした。ぼくにも「オレ、ADHDなんだよね〜」と言っていました。

 「注意欠陥・多動性障害」という日本語名に当てはめていくと、彼の場合、確かに「身体的に多動」な面はありますが、それ以上に「興味・関心を持つ対象」が切り替わる「脳のスピードが早い(=多動)」というふうに感じました。

 フィジカル以上にメンタルが多動なため、結果として注意欠陥になってしまうーということなのでしょうか。

 彼は明るくて人懐っこくて、スポーツも得意なようで、根っからの「愛されキャラ」といった印象を受けました。

 もう少し大きくなれば、きっと「リア充」として青春を謳歌することでしょう。うらやましい。

 反応が薄い息子にもめげずにコミュニケーションを取ろうと試みてくれ、一緒に行動してくれました。

 自ら障害があることを自覚しているがゆえに、息子に対しても理解があって寛容なのかもしれません。

 一緒にいると息子も明らかに楽しそうでした。とっても素敵な「お兄ちゃん」なのです。

 しかし、なぜあんなに疲れたのだろうか。

 大げさな表現かもしれませんが、「1分1秒と心が休まる暇がなかった」感じがしました。魂をすべて持っていかれたというか…。

 うまく言語化できない。

 翌日、そんなことを妻に話していたら、やっと気付きました。

 妻によると、その日の午後8時ぐらい、ぼくが飲み会に出掛けて家にいない時に、彼とこんなやり取りがあったそうです。

どこか出掛けたいなー。これから遊びに行ける場所ってある?

もう夜ご飯食べてお風呂に入っちゃったよ

どこかいいところない?

ビール飲んだから車を運転できないよ

じゃあ歩いて行けるところで。どこかある?

もう●●(息子の名前)が寝る時間だから…

大丈夫。どこか行きたいなぁ

化粧落としたから、もう外には出られないよ

庭でそりで遊ぶのはどう?

もう夜だし、外で大声出して遊んでいると、ご近所さんに悪いから…

大丈夫だよ。あー、どこか出掛けたいなぁー。どこに行く?

 その場は妻がなんとか収めて、室内でできる遊びをして、息子と一緒に寝てくれたそうです。

 なるほど、そういうことか。

 ぼくの話を一通り聞いた妻は、「遊びに来てくれたのはすごくうれしかったんだけど、実はあたしもちょっと疲れたんだよねー」と言って、このやり取りを教えてくれました。

 おかげで、ようやく言語化できました。

いま話を聞いて、どうしてぼくがあんなに疲れたのか分かったし、付き合うコツもなんとなく見えてきた。なんで昨日気付かなかったのだろう…

どういうこと?

会話が成り立っているように見えて成り立っていない。発言している相手の気持ちを受け止めることができないから、言葉を変えて同じ主張を繰り返してしまっているのだと思う

どうすれば良かったの?

「私はいま出掛けたくない気持ちだから出掛けない」。これがベストでは。説得しようとするのでなくて、自分の気持ちを短い言葉で伝えるのがいい

なるほど〜

 ADHD児の療育に関する知識はゼロですが、自閉症児の療育と共通する部分もありそうです。

 それなら何とかなりそう。

●●(息子の名前)に知的障害がなかったら、同じように、自分の主張が通るまでず〜っとしゃべり続けるのかもよ

それはそれでコワイ…

 息子のようにはっきりとした知的障害がある自閉症児を育てていると、知的障害がない(軽い)発達障害児の親御さんをどうしてもうらやましく思ってしまう部分があるのですが、知的障害がなければないなりの「別の難しさ」があるのかもしれないなぁと思い直しました。

 視野が広がったような気がします。気のせいかもしれませんが。

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