やまゆり園を利用していた当事者家族それぞれの事情〜相模原障害者殺傷事件017

前回は事件当時やまゆり園に入所していた重度障害当事者について書きました。

 ここでは、重度障害者を持つお子さんや家族を園に「預けた側」の事情についてまとめてみようと思います。

 前回と同様に、「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(西角純志著、明石書店)やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班幻冬社)から引用し、以下では西角さんの著書を「元職員」、神奈川新聞取材班の本を「神奈川」とそれぞれ略します。

 また、前回も触れましたが、事件の公判では、殺害された入所者19人のうち、美帆さんを除く18人は「甲+アルファベット」の組み合わせで扱われていたため、引用した本でもそのような表記になっております。

1972年に入所した。両親が年を取り支えることができなくなり、甲Hの将来を考え、苦渋の決断をしたそうです。

元職員P162「甲Hさん(65歳女性)実弟の処罰感情 第3回公判」より

16歳になった時、市役所の人に知的障害の施設ができたので入らないかと誘いを受けた。集団生活に慣れさせた方がいいなと考えて入所させた。
…未成年の施設にいられなくなり、次の施設を探した。それ以来45年以上園にお世話になっている。

同P202〜203「甲Mさん(66歳男性)兄としての処罰感情 第4回公判」より

1977年、園に入所するまで家族みんなで弟の面倒を見ることにした。姉妹が結婚して家を出るなどして、両親だけで見るには負担が大きすぎると思っていたところ、両親がどこからか園のことを聞きつけ預けようということになった。
いざ預けようとすると弟は強い抵抗を示し、わざとおしっこを我慢し、職員さんを困らせることがあった。

同P204「甲Nさん(66歳男性)姉としての処罰感情 第4回公判」より

長男(当時43)が犠牲になった女性は、夫が2004年に死去し、「体の大きい息子を力で押さえつけられなった。女手ひとつで育てていくのは難しい」と考え、入所を決めた。
別の遺族の女性も、長男(当時49)を28歳のころ、入所させた。長男は他害行為が目立ち、夫に先立たれ、「わたしが年老いた時、自力で息子を押さえつけられるか不安だった」と打ち明けた。

神奈川P163「隠された存在」より

 当たり前ですが、一言一言に多様な人生が詰まっています。

 重度障害者だとして死刑囚Uが命を奪った19人それぞれに個性(「障害は個性」ということではなく)があったように、当事者家族にもさまざまな「形」があるのです。

 ただ、共通するところも見えてきます。

①「できれば一緒に暮らした方がいい」という意識があり、入所させたことに「後ろめたさ」を感じている家族が結構いる。
②施設入所は「片道切符」で、一度入ると一生そこで暮らすことが暗黙の前提となっていた。

という点です。

 先に挙げた3人はいずれも1970年代に入所して、ずっと暮らしていたわけです。

 いずれ触れますが、1970年代といえば、障害児の親の会が「施設も療育指導もない中で親が障害児を殺すのはやむを得ない」という抗議文を行政に提出していた時代です。(1*)

 障害者福祉の歴史を扱った本には、日本では1960年代半ばから、コロニーと呼ばれる障害者を大量に収容できる大規模施設の建設が始まり、その後に当事者の立場から大規模施設の在り方が批判され、欧米から入ってきたノーマラリゼーション思想の影響もあって「脱施設化」の方向に舵を切り始めたーというような解説がなされています。

わが国では入所施設は家族介護の限界への安全ネットとして考えられてきたので、安全ネットである入所施設を縮小・解体するといった急進的な考え方は受け入れられなかったし、現在でも抵抗が大きいと思われます。

「よくわかる障害者福祉 第7版」P55「入所施設のなにが問題なのか」より引用

 「家族介護の限界への安全ネット」という表現は、この事件の遺族や被害者家族のコメントを読んでいると、非常によく分かります。

 大規模施設という存在そのものが持つ「罪」「問題」については今後触れて行きますが、東京オリンピックがあった1964年に建設された「やまゆり園」が、当事者家族にとっての「安住の地」であったことは間違いないようです。

やまゆり園の関係者からは、子どもがやまゆり園に入所しているものの、一度も面会に来ない親もいる、という話を聞いたことがある。一口に「遺族」「被害者家族」と言ってもその事情はさまざまだ。
ただ、報道や記録を読めば読むほど、「悲しみの濃淡」も浮かび上がる気がして、なんだかやるせない気持ちになった。

「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P52より引用

重度障害者を家族で見るしかなかった時代、入所施設ができたことによって「救われた」家族も大勢いるだろう。実際、多くの家族が調書では施設への感謝を口にしていた。
また裁判後、やまゆり園について「ああいう檻に入れてもらって、家族はみんな助かったんだから」と入所者の親が口にするのも耳にした。

同P52〜53

 雨宮処凛さんの傍聴記から引用しました。

 「ああいう檻」って表現は、あまりにもショッキングです。

 入所させた自分の家族を「一人の人間」として見ていないことが伝わってきます。

 健常児が集まる小中学校の保護者だって、過度に攻撃的なクレーマーはいるでしょうし、子どもを虐待する保護者もいるでしょうし、刑法犯で警察に捕まる保護者もいるでしょうし、LGBTの方や外国人や障害児(者)に差別的な人もいるでしょう。それが世の中です。

 障害児(者)の保護者だっていろいろです。

 「やまゆり園」の入所者家族に限って立派だったり問題だられだったりということはないはずです。当たり前のことです。

 とはいえ、「檻」はないよなぁ…。

 (1*)「母よ!殺すな」(横塚晃一著、生活書院)P96

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