やまゆり園に入所していた当事者それぞれの歩み〜相模原障害者殺傷事件016

「やまゆり園」には事件当時、19歳から75歳までの149人(男性92人、女性57人)が入所していて、短期入所者8人を含めるとほぼ満員の状態でした。

 入所者の7割以上が、必要とされる支援の度合いを示す「障害支援区分」で最も高い「6」だったといいます。*(1)

 そのうち、入所者19人が殺害され、職員2人を含む26人が重軽傷を負わされたのです。

裁判で、Uが、各入所者が、しゃべれるかしゃべれないかを確認して殺した、ということが分かりました。
しかし、しゃべれるか、しゃべれないか、ということと、意思の疎通ができるか、できないかということは、結びつかないと思います。
そのことを、障害者施設で、3年も働いていたUが、知らないはずはないと思うのです。

「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(西角純志著、明石書店)P222より引用

 前回も引用した、 第14回公判での被害者家族(「甲Sさん=43歳男性」の姉)の代理人弁護士による意見陳述です。

 この事件では、警察の報道発表で被害者の名前が伏せられていて、公判になっても多くの被害者が匿名のままでした。

 公判では「甲=殺害された入所者」「乙=負傷した入所者」「丙=職員」+「アルファベット」の組み合わせで扱われました。

 匿名にした遺族に対する批判も当時あったようですが、差別や誹謗中傷を恐れてのことでしょうし、各ご家庭の事情もあるでしょうから、「実名を明かさない」という決断を当事者以外がどうこう言うのはいかがなものかと個人的には思います。

 ただ、匿名となるとどうしても、その方がそれまでにどんな人生を歩んでこられ、周囲や社会とどんな関わりを持ってきたのかが見えにくくなってしまいます。

 障害を「個性」と呼ぶのは偽善的で嫌いですが、重度障害があった被害者の方々もそれぞれ多様な個性を持って日々生きてきたことは間違いないでしょう。

 事件を風化させてはいけない、亡くなられた方々の生きてきた証し、遺族たちの思いを残そうという取り組みとしては、NHKの特設サイト「19のいのちー障害者殺傷事件ー」があります。

 活字メディアでは、「やまゆり園」元職員で専修大講師の西角純志さん「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(明石書店)に亡くなられた19人、負傷しした24人、現場に居合わせた職員7人を紹介しています。

 地元紙の神奈川新聞取材班のやまゆり園事件」(幻冬社)も「19人の生きた証し」と題して、非常に丁寧かつ時間をかけたであろう取材によって得られた貴重な情報を掲載しています。

 この事件で大けがを負い、現在は「重度訪問介護制度」という国の介護サービスを使ってアパート暮らしをしている尾野一矢さん(現在48歳)については、以前こちらに書きました。

 今回は、負傷した方も含めて、事件当時の「やまゆり園」に入所していた方を紹介する記事の中で、特に強く心に残った方に関する言葉やエピソードを、先の2冊から抜粋しようと思います。

 以下、西角さんの著書を「元職員」、神奈川新聞取材班の本を「神奈川」とそれぞれ略します。

ひまわりのような笑顔で人気者 ー美帆さん(19歳女性)

3歳半で自閉症と診断されたあとは、とにかく勉強しました。本を読んだり、講演会に通い、少しでも美帆のことを理解しようとしました。
他の親御さんたちと障害のある方や、その親の気持ちを伝えようと思い、学校や地域で語ったこともありました。睨まれたり、怒られたりするのが恐かったから理解してくれる人を増やそうと思いました。
美帆が私の人生のすべてでした。多くの良い先生や、友達、支援してくれた職員さん、ガイドヘルパーさん、ボランティアさんに恵まれました。

元職員P116「美帆さん母の心情意見陳述 第15回公判」より

 亡くなられた19人のうちただ1人、ご遺族が名前を公表された方です。

 入所者の中で最も若く、「かわいらしい笑顔が印象的で、人気者だった」(元職員P48)そうです。

 お母様は名前とともに顔写真も公開しています(神奈川P167に掲載)。障害の重さは「最重度」とありましたが、写真の表情は豊かで、本当にかわいらしいです。

 掲載された4枚の写真のうち、寝転んでいて指を口にくわえている「8歳の美帆さん」を見た時に「息子もよくこういう表情をするなぁ」と気付き、それ以来ずっと脳裏に焼き付いています。

 意見陳述によると、美帆さんは「12月の冬晴れの日」に誕生したそうです。

 わが息子も12月の冬晴れの日(雪が舞っていましたが)に生まれました。先の写真の表情といい、一方的に縁を感じています。

 このように美帆さんに親近感を抱くことができ、それゆえ事件の残酷さがより強く胸に迫り、この事件を決して忘れてはいけないとあらためて思うことができるのは、お母様が語られた心情とともに名前と写真を公表されたゆえです。

 意見陳述の全文を読むと、「美帆が私の人生のすべてでした」という表現が決して大げさではなく、本当に「人生のすべて」だったことが伝わってきます。

スプーンをわずかに使えるようになって感動 ー甲Eさん(60歳女性)

食パンとサケが大好きな半面、嫌いな食べ物は口に入れない頑固な一面もあった。
28歳で児相からやまゆり園を紹介され、入所した。スプーンをわずかに使えるようになったという。弟は「大きな驚きで、感動しました。職員はとても熱心に接してくれた」と感謝する。
90年に亡くなった母親は生前、「わたしがいなくなっても、お姉ちゃんをよろしくね」と弟に伝え、晩年まで気遣っていた。

神奈川P175「19人の生きた証し はなホーム」より

 難産で産まれ、2歳で脳性まひと診断され、最重度の知的障害があったとのことです。

 28歳で入所ですので、やまゆり園で32年間暮らしていたことになります。やまゆり園には、障害者への差別が今よりも過酷だった時代に生まれたご高齢の方も多く入所していたようです。

 スプーンをわずかに使えるようになったことに驚き、感動した弟さんの気持ちはすごくよく分かります。

 重い障害がある息子との暮らしは、そうした「ものすごく些細だけど大きな成長」を見つけたときの驚きと感動の繰り返しです。

園が外より楽しい世界になった ー甲Gさん(46歳女性)

中学になると、娘は学校を嫌がり、逃避するようになった。バスや電車で移動し、新幹線で愛知まで行ったこともあった。電車で遠くに行く楽しみを知ってしまった娘は、作業所に行くようになっても遠くに行くことがあった。
…職員は本当に娘のことを考えてくれ、あれだけ逃避していたのに、どこへも行かなくなった。つまり園が外より楽しい世界になった。

元職員P160「甲Gさん母の遺族調書 第3回公判」より

 2歳か3歳の頃に知的障害と診断を受け、15歳の頃に糖尿病になり、意味のある会話をすることはほとんどできなかったけれど、身振り手振りで自分の感情を表現し、感性は「本当に豊かだった」とのことです。

 親としては気が気ではなかったでしょうが、新幹線で愛知まで一人で冒険するエピソードは微笑ましく、温かい気持ちになりました。

 「園が外より楽しい世界になった」って、やまゆり園のスタッフからしたら最高の褒め言葉でしょう。

お母さまから受けた愛情を感じながら、笑顔で過ごしてくれました ー甲Iさん(35歳女性)

父親が最後に面会したのは、事件17日前。腕に力が入らず、いつものように一緒に散歩できなかった。寂しそうな顔をしていたという。父親は「娘の笑顔に何度も救われた」と感謝する。
園職員は「お母さんから受けた愛情を感じながら、笑顔で過ごしていました」と振り返る。

神奈川P178〜179「19人の生きた証し にじホーム」より

 引用した部分の前段には、「最重度の知的障害者と認定され、車いすを利用していて、専業主婦だった母親は保育園や幼稚園に通わせず、付きっきりで世話をした。2002年に父親が早期退職して介助を手伝うようになり、家族でよくドライブに出かけた。母親の入院に伴って「やまゆり園」に短期入所を始め、12年に母親が亡くなられたのを機に本入所となった」ーとあります。

 「お母さんから受けた愛情を感じながら、笑顔で過ごしていました」という園職員のコメントが本当に素晴らしくて、強く心に残りました。

 表現が不適切なのを承知で書きますが、うらやましいです。

 自分なら、死んだ後に息子にこんなふうに感じてもらえれば、「オレの人生は上々で、子育ても成功だったな」と悔いも残らないだろうなと、同じ障害者の親として思いました。

会いに行って私が先に帰ると大暴れした ー乙Jさん(23歳男性)

入所後会いに行くと乙Jは帰れると思い着替えを始めたが、私(父親)が先に帰ると大暴れした。
若い頃から活発で暴れたら止められない。限界を感じ19歳になった後入所。

元職員P55「負傷した24人の人柄 乙Jさん父の陳述」より

 これまで引用した美帆さんを含む4人は偶然にも、すべて女性でした。

 「やまゆり園」は男女別に区画が分かれていて、当然ですが同性介助が原則ですので、事件を起こした死刑囚Uはこうした女性入所者と家族、女性スタッフとの「豊かな関係」を知らなかった可能性があります。

 負傷したこの男性(乙Jさん)は、「身体障害はないが1人で自立して生活はできず、言葉を話せない」とありますので、強度行動障害だと思われます。

 この方以外にも、「帰ってくると、妻に暴力を振るったりするので、帰宅することはない」(同P54 「乙Fさん=35歳男性」父の陳述より)など、体力がある若い男性障害者の処遇の難しさが伝わってきます。

「女出てこい」と叫ぶ、便を手で触る ー2人の男性入所者

気に入った新幹線の玩具をいつも持っており、言うことを聞かない時に、玩具や平手で職員を叩くこともあった。相手によって態度を変える人で、若い人の場合は困らせることもあった。
…女性職員THさんに強い執着を抱いていた。…支援室にも頻繁にやってきて、「女出てこい」などと大きな声で言っていた。

元職員P180「職員の証言(職員公舎から駆けつけた「つばさホーム」の男性職員)」より

自閉症で、コミュニケーションはほぼできなかった。利用者の中には排泄の管理ができず、大便を漏らす人もいたが、漏らすだけではなくて手で触る癖があった。

 上は死亡した43歳男性、下は負傷した51歳男性のエピソードです。

 法廷で男性職員は冒頭、「被害に遭った方のプライバシーに関わることなので心苦しいが、被告は障害者を軽蔑し『生きている意味がない』と発言している。解明のためにも4人の被害者の様子とUとの関わりについて話す」と前置きし、これらの証言をしています。

 U本人が語ったところで客観性も説得力もありませんが、同僚だった職員の話は非常に貴重です。

 ただ、そのままテレビ・新聞で報じると差別を助長する恐れもある内容ですので、マスコミが事件報道を行っていた頃には扱われなかった可能性が高いです。

 強度行動障害があって処遇が難しい男性入所者が集まる区画には、体格のいい「体育会系」の男性職員が配置されていたーという記述もありました。

 Uがいた職場は、こうしたことが日常的に起こっていたのだと思われます。


人は、きわめて重い障害、わけても重度の知的障害や重複障害者に出会った時、誰しも強い衝撃を受けると思います。
「人が生きている意味」「人とは何か」を問うことになるのは当たり前で、そのこと自体は良いことだと思われます。

ただ、家族や自らがそのような障害をもつ可能性があるとの現実感がなく、また人間性を確立できていない場合には、180度、間違った方向になることもあるのだと考えます。
現実の重さと、命についての本音の議論を踏まえていかなければ、説得力を持てません。

ですから、関係者は、施設外を視察する、具体的に支援・介護している人から十分聴取する、自ら支援を経験してみるなどしつつ、内容と説得力のある議論を重ねてほしいと切望します。

「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P121より引用

 2020年2月17日の論告求刑に当たって美帆さんの母親が、代理人弁護士の滝本太郎さんと連名で発表した文書です。

 非常に重い問い掛けです。

 「きわめて重い障害、わけても重度の知的障害や重複障害者」に出会った時、「障害は個性」などというキレイゴトを言える人はほとんどいないでしょう。

 また、人間性が確立できていなかったり、本人や身近な「障害を持つ可能性」に考えが及ばない人が重度障害者に接した際、人としての「浅薄さ」ゆえ差別意識を持つことにつながりかねないこと。

 子どもたち、または、大人でも死刑囚Uのような「認知の歪み」が著しい人に対しては、冷静な対話と「命についての本音の議論」ができる大人が側にいないと、「重度障害者と一緒に過ごす体験」がマイナスにしかならないこと。

 そして、現場の様子を踏まえ、視野を広げ、「内容と説得力のある議論を重ね」なければ、事件の再発防止にはつながらないこと。

 ぼくは重度障害者が多く入所する施設を見学したことがありません。本を読んで感想をまとめているだけでは、何ら説得力がありません。

 現場を早くこの目で見なければと、あらためて思い直しました。

 (*1)「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P12

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