障害当事者の親という立場から「何か変だよ、日本のインクルーシブ教育」と題したブログ記事を読んで思ったこと

「インクルーシブ教育」という言葉は聞いたことがありましたが、正確な意味は知りませんでした。

 米国在住で「Saltbox 自閉症&自由ブログ」を運営されているCheeさんのツイートから引用します。

 少し前に、Cheeさんのツイートとブログを読んで「ファシリティテッド・コミュニケーション」(Facilitated Communication=FC)に関する記事を書きました。

 Cheeさんのツイートから再び、考える機会を与えていただきました。ありがとうございます。

 当事者の親の立場から、ぼくも思うところをまとめてみます。

 ツイートでCheeさんが紹介しているのは、ベネッセ教育総合研究所内にある団体「チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)」のサイトに掲載されている榊原洋一所長(お茶の水女子大学名誉教授、ベネッセ教育総合研究所常任顧問)のブログ記事です。

 「インクルーシブ教育」の定義を榊原所長のブログ記事から引きます。

…端的に言ってしまえば、インクルーシブ教育とは、地域の全ての子どもが同じ教室で勉強することです。

CRN「所長ブログ『何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (1) 』」より

 分かりやすいです。

 息子の就学に当たって、妻とぼくは「一時でもいいので地域の子どもたちと一緒に過ごす機会がほしい」との願いから、郊外の特別支援学校ではなく、自宅から歩いて3分ぐらいにある小学校の支援学級を選びました。

 インクルーシブ教育の理念には大いに賛同するものです。

 榊原所長の主張についてはぜひ、リンク先の全文(6本の記事が掲載されています)をお読みいただければと思います。非常に勉強になります。

 ブログ記事の主張をぼくなりに要約してみました。

①インクルーシブ教育に対し、先進諸国はその理念に近づけようと努力している
②しかし、日本では教育現場に携わる人々からの反発がある
③それゆえ、当事者家族から誤解を受けている
④政府もテクニカルな条文解釈でごまかして現状を変えようとしない

 この論を巡って、主な関係者として登場するのは、ブログを書かれている研究者・専門家である榊原所長ご本人のほか、 (a)CRNというサイトの運営を支援するベネッセ教育総合研究所 (b)特別支援教育に携わる教員たち (c)文科省をはじめとする官僚 (d)当事者とその家族ーです。

 この4者に切り分けて、それぞれの立場や思いを「忖度(そんたく)」してみます。

 研究者・専門家である榊原所長は、世界標準となっているとされるインクルーシブ教育が日本で「骨抜き」にされ、理念が具現化されていないことに失望し、広く問題提起されているのだと思います。

 専門家の方が一般の人向けに理念や理想を分かりやすく語ることは重要ですし、われわれ障害者福祉サービスのユーザーにとってありがたいことです。

 (a)CRNというサイトの運営を支援するベネッセ教育総合研究所としては、インクルーシブ教育に関する優良なコンテンツを提供することは社会貢献の一環ともいえ、企業のブランドイメージ向上につながることでしょう。

 一方で、文科省がインクルーシブ教育導入で大幅な制度変更を行うとなった際、インクルーシブ教育に関する知見を有する巨大教育産業は、巨大なビジネスチャンスを手に入れることになるはずです。

 (b)特別支援教育に携わる教員たちとしては、自分たちが現在行っている業務に「公の役に立っている」という自負と誇りと誇りを抱いていることでしょう。少なくとも、ぼくの周囲におられる教育関係者は皆さん、尊敬できる方たちです。

 しかし一方で、得体の知れない「真のインクルーシブ教育」が実施されると、自らの身分や立場が危うくなると感じているかもしれません。

 (c)文科省をはじめとする官僚としては、いわゆる先進国や有識者たちが提唱する理念を、現時点での教育現場や政治の状況と照らし合わせ、膨大な知識や情報を基に総合的に勘案し、絶妙なバランス感覚で「日本における最適解」を出したと自負しているのではないでしょうか。

 一方で、劇的な変化を伴う政策を提案してもすぐに成果は現れないでしょうし、失敗したら出世にマイナスになるでしょうから、次の人事異動で担当から外れるまでの間は「事なかれ主義」でやり過ごそうとしているのかもしれません。

 (a)〜(c)ともそれぞれ、建前と(少し意地悪く)本音を想像で書いてみました。

 では、(d)当事者とその家族はどうか?

 榊原所長のブログから再び引用します(太字は筆者)。

…私がお話しした『真のインクルーシブ』は、現在の普通学級とは全く異なる普通学級を作り上げた後に初めて実現するものです。発達障害をもつお子さんなど様々なニーズのある子どもに対応するために必要な教員と設備が整った『普通学級』に、地元のすべての子どもが通うのです。そのためには、現在の学校のシステムを大きく変える必要があり、お金も手間も大変にかかる制度改革が前提になります。」

CRN「所長ブログ『何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (5) 大いなる誤解』」より

 この表現に、いろいろな要素が集約されています。

 ブログには、榊原所長が医師としてみているお子さんに通常級への進学を勧めたところ、就学前に見学に行った小学校の校長から、「このようなお子さんがいると、他の子どもが迷惑するから、特別支援学校に行きなさい」と言われたと母親から報告があったーというエピソードが紹介されています。

 こんなことを面と向かって言う教育行政の関係者がいれば、「戦おう」と思う保護者の方は一定数おられるでしょう。

 ぼくがその立場になったらきっと、「公の場でも同じように言えますか? 言えるのであれば、教育委員や市会議員が集まる公の場であなたと議論したいですし、言えないのであれば、なぜ言えないのか理由を教えてください」と応じます。

 公に場での議論によって勝ち・負けを付ける「戦い」をするのではなく、意見をぶつけ合うことでお互いの知見が高まって視野が広がって、よりよい「地域の教育行政」につながればいいな、との思いからです。

 ただ幸い、妻やぼくの周囲でそういうことを言ってきた教育関係者の方はいなかったですし、現在息子が通っている小学校にも支援級の先生方にも感謝の念はあっても不満はありません。

 われわれ家族を含め、現状に一定程度の満足をしている保護者は、得体の知れない「お金も手間もかかる制度改革」に対して不安を抱くものです。構え方が保守的になります。

 先進諸外国並みの「真のインクルーシブ教育」を実現するため、日本が「お金も手間もかかる制度改革」に着手したとします。

 新しい制度を導入した当初には混乱がつきものです。

 過渡期の混乱を経ることで、将来生まれる子どもたちのために素晴らしい教育制度が出来上がっていくのかもしれませんが、わが子が特別支援教育を受けている時期に「過渡期のゴタゴタ」に巻き込まれたらイヤだなぁーと考えるのではないでしょうか。

 「わが子は今、いい感じで特別支援教育を受けているのだから、余計なことはしないでくれ」と。

 これまた当事者家族のエゴと言われればそうかもしれませんが、素晴らしい理念に向かうための過程でわが子が犠牲になるのは勘弁してほしいです。

 社会実験の「捨て石」にはなりたくありません。

 榊原所長のブログのタイトルにあるように、日本のインクルーシブ教育が「何か変」だとは、ぼくも思います。

 ただ、どのように進んでいくのがいいのかということについては、ぼくは考えがまとまっていません。

 先に挙げた(a)〜(c)の関係者が本音とタテマエを交えたバトルを展開した上で、最終的には政治がジャッジすることになるでしょう。

 当事者家族の一人としては、行政が動いて政治にバトンが渡りそうになった段階で、政治なり行政にモノ申すことになると思います。

 再び、Cheeさんのツイートから引用します。

 先進的とされる米国でも問題を抱えており、「日本には『優生思想』が強く残っていて、インクルーシブ施設や障害者施設を迷惑視する」と指摘されています。

 「日本の障害者施設はなぜ人里離れた場所に立地していることが多いのか」というのは、障害児の親になる前からずっと問題意識としてありました。

 インクルーシブ教育について考える上で、切っても切り離せないテーマだと確信しています。

 日本において、障害者施設は原子力発電所と同じような扱いをされていた(いる)のかもしれません。

 次回に続きます。

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障害当事者の親という立場から「何か変だよ、日本のインクルーシブ教育」と題したブログ記事を読んで思ったこと” に対して2件のコメントがあります。

  1. Chee より:

    私の言いたかったことをここで上手にまとめて頂いてありがたいです。
    障害に限らず、例えば男女格差や人種格差でもそうですけれど、タテマエだけ平等にしても、社会の文化が差別的だともうどうにもならないんですよね。普段イジメられ、煙たがられ、都合がいいとこだけ「平等」で誤魔化され、当事者以外だけが自己満足する「インクルージョン」なんて上手く行かないってのは、アメリカはもう何度もやってきているわけです。(有名なのは、昔、黒人ばかりの学校と白人ばかりの学校で生徒の一部を交換する制度をやったら白人が引っ越しまでして逃げた話。)今は昔ほどは酷くは無いですが、まあ基本変わっていません。根深い問題ですが、肌の色が違うだけでこれですからね。

    人口割合も低く、理解者も少ない障害者はそれ以上の課題になるはずです。実は私は小中学生の時に、特別教室の知的障害の女の子の面倒を見させられた優等生タイプ女子です。自分から進んでやったのではなく、背の順で一番前だから、先生が押し付けてきたのです。そしてみんなに「お前も障害者」ってイジメられた経験があります。そういう国だと思っています。

  2. 69annee より:

    コメントありがとうございます!

    「当事者以外だけが自己満足するインクルージョンなんて上手く行かない」ってのはおっしゃる通りで、日本ではSDG’sやLGBTに関する理解が進み、表面上は社会がどんどん「立派」になってきているようにみえる半面、ネット空間では「本音」「正論」と称した救いのない差別がまかり通っています。地に足がついていない「立派さ」だけが進んでいったところで、当事者と家族は困惑するだけですし、よく分からないところで敵が増やしてしまうだけなんですよね。

    日本のABA関係者にとって米国は「進んでいる夢の国」みたいな受け止めをされている感じもあって、Cheeさんがブログで書かれている、生活に根差したお話は非常に貴重です。

    そういえば、ぼくも小中学生の時、知的障害がある同級生の面倒を見るよう教師に仕向けられたことがありました。運が良かったのか、それによっていじめられることはありませんでしたが。

    余談ですが、ぼくは子どもの頃からずっと「男の集団」が苦手でした。50歳になった今も同じです。「軍隊」「体育会系」「ムラ社会」という感じがして、なんか入れないんですよね。そんなこともあって、障害ゆえ?に男社会に入れない息子に余計、仲間意識を感じているのかもしれません。

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