やまゆり園の「監禁ドライブ」みたいなことは、息子が4〜5歳の頃にぼくも毎週やっていた〜相模原障害者殺傷事件019
この事件に関する本を読んでいる中で、「監禁ドライブ」という言葉を初めて知りました。
作業棟にいるのは約1時間。それ以外の時間は、ほとんどドライブなんです。ドライブというのは、入所者を何人か車に乗せて職員が運転する。
「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P219より引用
暴れやすい子でも車に乗るとおとなしかったりするので、よその施設でもやっているらしいですが、「監禁ドライブ」と言うらしいです。
要するに車に乗せて走りはするんだけど、車の外には降りない。
…お正月の記録があるのですが、ドライブで鶴岡八幡宮に行ったのに、「車の中から参拝」と書いてあるんです(笑)。
やまゆり園の元利用者家族の話です。
障害の有無に関係なく、夜泣きがすごい赤ちゃんを寝かし付けるために車に乗せて夜通しドライブをしたーという苦労話はいろんな方から聞いたことがあります。
そういえば、障害児(者)を落ち着かせるための「夜通しドライブ」って、ABCテレビのドキュメンタリー番組「強度行動障害の男性と家族の日々」のワンシーンにもありました。
番組に関するブログ記事を読んだ感想を以前こちらで書いていました。
これをアップした後に、ABCテレビのYouTubeチャンネルに番組がアップされていることを知り、観ることができました。いつの間にかタイトルを変えたようです。
わが息子に関しては、幸いにも、睡眠で苦労したことはありませんでした。
ただ、4〜5歳の頃、同じようなことをしていたことがあります。
「監禁ドライブ」という言葉を知った時、「そんな時代もあったなぁ」と、記憶がよみがえってきました。
以前も書きましたが、息子が言葉を話せなかった4〜5歳の頃が、これまでの子育てで一番しんどかった時期でした。
言葉によるコミュニケーションが取れない上に、同じ場所に5分と居られないほど飽きっぽく、同じ場所に20分もいることができれば、妻に報告して一緒に奇跡を喜び合うーといった日々でした。
この頃、妻がパートに出掛けている間、ぼくが半日間息子と2人で過ごす日が週1のペースであって、かなりハードでした。
「車で40〜50分移動しては5〜10分間外で遊ぶ」といったことの繰り返しで、「公園4カ所」「海辺2カ所」「道の駅とショッピングモール各1カ所」といった具合に、毎回半日で7、8カ所は回りました。
天気の悪い日や冬場は外で遊べないので、立ち寄り先も屋内の2、3カ所に限られ、その分、車を走らせる時間と距離が増えることになります。
車に乗っている時の息子はおとなしく、いつも上機嫌でした。 ただ、運転する側としては話し相手がいないわけで、単調かつ退屈極まるものでした。
1時間近くかけて次の目的地に着いても、息子が楽しそうに遊ぶのは最初の数分だけで、すぐに車に戻りたがりました。ロングドライブで心身も疲労します。
ただ、息子だって、発語がしたくてもできなくて、自分の意思を伝える手段も限られていたわけです。
当時、彼もきっと「しんどくて、つまらなかった」のではないかと、今になれば思います。
息子はいま、言葉を使った意思疎通がある程度できるようになり、同じ場所に長時間いることもでき、お気に入りのプリントとドリルなどを用意しておけば、家で留守番をしてくれるようになりました。
こんなふうに成長するなんて、当時は想像すらできませんでした。本当にありがたいことです。
やまゆり園で「監禁ドライブ」に参加させられていた重度障害者の方々はおそらく、4〜5歳の頃のわが息子と同じぐらいか、あるいはそれ以上にケアが難しかったのではないでしょうか。
障害の程度が同じぐらいだったとしても、成人していて体が大きい分、息子よりもケアが大変だったのだろうなとは想像できます。
やまゆり園の職員が「車に乗せて走っていれば、面倒見るのがラクだよね」という発想から「監禁ドライブ」を繰り返したのだろうということは、よく分かります。
そして、そんな施設の職員に対して「重度障害者の面倒を見て金をもらっているプロなんだから、ラクしないで、ちゃんと一人ひとりの障害者のニーズにあったケアをしろ!」と不満を抱く当事者家族の気持ちも、理解できます。
さらに、「家で面倒を見ることができなくて施設に預けているのだから、施設に不満があっても言いにくい」という当事者家族の気持ちも、理解できます。
この事件の本を読んでいると、「福祉職は仕事のハードさの割に給料が低い」という話が何度も出てきました。
そんな待遇の中で質の高い仕事をされている福祉職の方も多いのでしょうし、そういう方々は、同じ「働く大人」として素晴らしいですし、尊敬できます。
なのですが、「給与を始めとする待遇の高低」が「サービスの質」につながっていくという部分は、同じ「働く大人」として、「そりゃそうだろう」と思います。
「どうせ給料低いんだからラクしようぜ」という人がいたとしても、一概に責める気にはなれません。
「福祉は崇高でやりがいに満ちた仕事なのだから…」という「やりがい搾取」的なもので待遇の低さをカバーするのには限界があるでしょう。
そういう業態は長く続かないでしょうし、一般化もしないでしょう。
とりとめのない話になってきましたが、障害児の面倒をみる「しんどさ」が骨身に染みついている当事者家族としては、障害者の福祉に関わる「プロの人々」の待遇について、常に関心を持ち続けなければいけないとあらためて思いました。
妻とぼくが死んだ後に息子が平穏に生きていくためには、たぶん、それが一番大事なことの一つなのでしょうから。
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