事件を起こしたことで「欲しかったオモチャ」を思いがけず手に入れた「ありがちな若者U」〜相模原障害者殺傷事件013

この事件に関してぼくは、事件発生直後も、公判が始まった時も、死刑判決が出た時も、「発生から○年の節目」というテレビ・新聞報道が過熱していた頃の記憶も、ほとんどありません。

 日々新聞を読み、テレビのニュースは追っていたのですが、この事件は「重度障害児の親」であるぼくには衝撃が強すぎました。

 情報をインプットするポーズは取っていましたが、実質的に「目と耳を塞いだ」状態だったように思えます。理解して考えることを放棄していました。

この3年半、傷つけられ、入所者を一生懸命面倒見てきました、職員、家族、世の中の人が、心に忘れられない傷を負って生きている。現実は残酷なんですよ。
Uさん、あなたはどうですか。3食昼寝つき、好き放題言って、漫画まで描いて、あまりにひどいんじゃないですか。Uさん、そろそろ人のことはいいから、自分の人生、起こした事件に対して真剣に向き合う時です。

「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(西角純志著、明石書店)P128より引用

Uは、世界平和のために革命を起こしたかったのではなく、自分の思い込む方法で、命を懸けて、自己実現をしたかったのだと、思います。
今は、裁判や取材・報道で自己実現が出来て、さぞかし、満足していることと思います。

同P223より引用

 いずれも第14回公判で行われた意見陳述からの抜粋で、前者は「甲Eさん(60歳女性)」の弟、後者は「甲Sさん(43歳男性)」の姉によるものです。(Uは死刑囚の苗字、太字は筆者)

 事件から5年2カ月と数日経ったタイミングから関連の本を読み進めていく中で、この死刑囚に対してぼくも、先に挙げたお二人のご遺族と全く同じような受け止めをしていました。

 「こいつ、すごくうれしそうだな」と。欲しがっていたオモチャが手に入って喜んでいる子どものように。

 このブログでもこれまでたくさん引用してきた開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)の刊行を巡っては、「被告の言うことを本にするのはやめるべきだ」と出版中止の申し入れがなされ、そのことがNHKの夜9時のニュースで取り上げられ、大きな反響を呼んだという(同書P21)。

 刊行に至った思いや経緯については、月刊「創」編集長の篠田博之さんが「この1年間痛感した事件の風化とメディアの責任」と題した「あとがき」で丁寧に説明してあります(同書P244〜254)。

 非常によく分かりますし、いまこの事件のことを考えて検証できるのは、2020年6月に発行された「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」も含めた「創」編集部のこの2冊の本のおかげだと思います。

 メディアとして歴史的な責任を果たしてくださったことには深く敬意を表するとともに、障害当事者家族の一人としても感謝しています。

 ただ、そう言えるのは、ぼくがリアルタイムでこの事件の推移を追っていなかったからであって、当時から関心を持ってニュースを読んでいたら、出版中止の申し入れをされた方々と同じ気持ちになっていたかもしれません。

 先に引用した2人のご遺族が、マスコミの取材にうれしそうに答えている被告(当時)の姿に強烈な嫌悪感を抱いていたであろうことは想像できます。

 彼は、自ら思いついた重度障害者殺害計画を国に提示したけれど措置入院という形で「ノー」を突きつけられ、地元の友人らに話しても賛同を得られず、協力を求めても断られ、一人で犯行に至りました。

ーでも君の考えに同意する人はいないと思うけどなあ。
U 自分の考えをきちんと説明すればわかってくれる人もいると思っています。
ーいたとしてもごく少数だろう。
U いやきちんと説明すれば半分ぐらいの人はわかってくれると思ってます。
ー半分はいないでしょう。
U 逮捕されてからもいろいろな人にこの話をしていますが、皆聞いてくれます。

「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P28より引用

 事件から約1年1カ月後、編集長の篠田さんと被告(当時)の面会室でのやり取りです。

 そりゃあ、刑事事件を起こして捕まれば警察官も検察官も弁護士も話を聞いてくれるでしょう。仕事ですから。

 テレビや新聞の記者、フリージャーナリスト、研究者、福祉関係者らが接見を求めてきて、自分の話を真剣に聞いてくれる。

 中には著名な人もいて、そうした人々と「対等になった」ような気分も味わえる。

裁判はとても厳粛で被告人質問は心臓の音が聞こえました。考えを伝えられたのは弁護士先生の整理されたご質問のおかげです。記者方や教授、博識な皆様から学んだ経験を生かすことが出来ました。

「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P176より引用

聡明で面白い方、綺麗(きれい)で誠実な方と会えないのは残念でなりません。

同P178より

文章や絵は、美しい記者に見られて恥ずかしくないものを目指しました。死刑を求刑されたとき、ふと傍聴席を見ると、美人が一斉に慰めの瞳をくれました。

同P181より

 死刑囚が2020年2〜3月に横浜拘置支所で書いた篠田さん宛の手記です。

 検察側の求刑が2月17日、結審が2月19日、死刑判決が言い渡されたのは3月16日ですので、その辺の時期に書いたもののようです。

 「弁護士先生」や「記者方」「教授」「博識な皆様」はきっと、権威主義者であるこの死刑囚が、「自分より上位にある」と認識した人たちなのでしょう。やたらと言葉遣いも丁寧です。

 また、大事な大事な取材源である死刑囚から気に入られて他社よりいいコメントを引き出そうと、マスコミ各社が「美しい記者」を競って派遣したのだろうということも想像できます。

 「聡明で面白い方」「綺麗で誠実な方」も含め、事件を起こすまで、こうした属性の人々との接点はほとんどなかったのだと思われます。

 強者が集う、きらびやかな世界。そんなふうに見えたかもしれません。

 死刑囚は「プロ野球選手か歌手になっていれば、この事件は起こさなかった」という趣旨の発言をしています。

 プロ野球選手と歌手が並んで挙がるのって、まるで保育園年長組や小学校低学年の児童が書く「将来の夢」の作文のようです。

 子どもたちは成長するとともに、世の中には多種多様な職業があることを知り、適性も含めて自分にあったものを選んでいくようになるのだと思います。

 この死刑囚の「成功した人」のイメージは、20代後半になっても「プロ野球選手と歌手」のままだったのでしょう。

 事件を起こして捕まり、裁かれる中で、さまざまな職業の人々と接することができ、視野も広がったのかもしれません。とんだ「社会科見学」です。

 約1カ月半にわたった公判では自らの考えを存分に披露し、「U(死刑囚の苗字)劇場」と呼ばれるほどだったそうです。

 冒頭に挙げたご遺族の言葉を借りれば、「自分の思い込む方法で、命を懸けて、自己実現をした」結果、これまで生きてきた中で手に入らなかった「おもちゃ」が目の前に現れたわけです。

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