国のためを思って立てた重度障害者殺害計画に対する国からの回答は「措置入院」だった〜相模原障害者殺傷事件012
この死刑囚は犯行に踏み切る前に、重度障害者を殺害するという計画を記した手紙を衆院議長公邸に届けています。
公判での検察官と被告(当時)のやり取りを引用します。
検察 意思疎通のとれない障害者を殺しますと提案して、政府から反応があると思いましたか?
「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P97より引用
被告 それは措置入院という反応だと思います。
検 措置入院というのが国の結論だと思ったのですか?
被 はい。
検 国としては許可してくれないというのが分かった?
被 はい。
検 でも役に立ちたいし、自分が気づいたから自分がやろうとした?
被 はい。
検察官の質問に答える際の「しおらしい感じ」には、「強い者にはとことん従順」な権威主義者らしさがにじんでいます。
衆院議長公邸に持参した手紙の原文は、「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P14〜20に掲載されています。
「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」という宣言から始まり、その考えに至った経緯や具体的な計画について書いてありますが、ここでは省略します。
興味深く感じた部分を抜粋します(太字は筆者)。
作戦を実行する私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。心神喪失による無罪。
新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。美容整形による一般社会への擬態。
金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えています。ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。
「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P17より引用
今でいうラノベの「転生もの」か。新しい名前まで要望するノリはちょっと理解しがたいです。
政府が「分かったよ〜。ミッションが終わったら5億円あげるね〜」とでも答えると思っていたのでしょうか。思っていたのでしょう。
それに、「殺害してもいい障害者」として「心失者」という概念を自ら作り出したくせに、自身は「心神喪失による無罪」を求めるってのは、理屈が通りません。
死刑判決後、弁護団の控訴を取り下げたことと矛盾しています。
しかしこの点については、犯行後に心境の変化があったのかもしれません。
病棟には20名ほどの患者がいて、30代位の男性に「なぜ入院しているのですか?」と尋ねると、
「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P61より引用
「幻聴が聞こえるんです…」
と頭を抱えていましたが、それは働かない理由になりません。
日本では「弱者は守られるべきだっ!」とタカリ屋のような偽善者と詐欺師ばかりで、とにかく甘やかすことを優しさと強調しますが、これは無責任な判断です。
これは、措置入院中の様子を本人が綴ったものです。
退院後のことにも触れています。
退院してからは生活保護を受給し、日本の平日を観て回りましたが、労働者の皆様が汗水流して働いている日々を老人達はのんきに遊んで暮らしています。
同P63より引用
パチンコ台や競艇、ランニングマシーンに根をおろした老人は、見ていてとても哀れです。
他者を責めるのは好きだけれど自分にはとことん甘いーというメンタリティであることがよく分かります。
公判でもそういう点が指摘されていました。
6番目の裁判員は痛いところを突いた。
「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P135より引用
「働くことが重要と言っていましたが、生活保護を受けて働いていないことについてはどう思いましたか?」
被告は動じる様子もなく、「恐縮ですが、社会見学と事件の準備だと思っていました」
事件があまりにも陰惨なため、こういった細部まで注目はされなかったのでしょうが、生活保護費を「大量殺人のための準備に使った」と自ら認めています。
この発言単独でも激しくネット炎上しそうです。
犯行を決意してからは筋トレなどをして体を鍛え、「犯行直前まで地元の友人ら約50人に『障害者を殺す』と過激な言動を続け、その一部には『一緒にやらないか』と協力を持ちかけていた」(「やまゆり園事件」[神奈川新聞取材班、幻冬社]P94より)。
この死刑囚を措置入院させたことの是非や、退院後の行政の対応が不適切だったのではないかという点は、事件直後に問題となったようです。
精神科医の斎藤環さんは、2000年に佐賀で当時17歳の少年が起こした「西鉄バスジャック事件」を引き、措置入院が妥当だったのかどうかという点を問題提起しています。
引用します(カッコ内の補足と太字は筆者)。
医療保護入院をさせていなければあの事件(西鉄バスジャック事件)は起こらなかっただろうと私は確信しています。家庭内暴力に対して強制入院という過剰防衛をしてしまったわけです。それに対するお礼参りとして事件が起こる。そういうことはよくあることなんです。…。
「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P231〜233より引用
迂闊(うかつ)な強制的措置というのはまさに「臭いものに蓋(ふた)式で、かえって危険を高めてしまう。その可能性に対して、あまりに無知というか、現実を見ようとしていないか。この事件の当初の議論には、そういう危険性を感じました」
このインタビューは、相模原事件が起こった2016年に行われたものです。
この事件もそうですが、社会的なインパクトが大きくて悲惨な事件であればあるほど、「誰かの対応が正しければ悲劇は防げたのではないか」という観点から事件直後にマスコミがネタを探しまくり、「不手際があったとマスコミが認定した人・団体」が総攻撃を受けるーというパターンが見受けられます。
この事件の直後には、「措置入院から2週間足らずで退院したことについて、『解除が早かった』『そうならないように制度を見直せ』という声が多かった」(同書P230より)とのことです。
「措置入院になるほどの『危ない』人間を、なぜそんなに早く外に出したのか? 長期間収容していれば、事件は起きなかったのではないか?」という発想から出てきた指摘(批判)なのでしょう。
こうした考え方は、精神医療を予防的な治安維持に使うという危険な方向に権力を誘導しかねません。
マイノリティ、特に精神障害者に対する差別に結びつく恐れもあるでしょう。
「重度障害者を殺害する」という計画を政府に提案し、国からの回答が「ノー=措置入院」だったとの認識で犯行に突き進んだわけですが、この死刑囚の場合、犯行は「自分を拒否した国家に対する『お礼参り』」ではありませんでした。
「国がやらないのなら、国のために自分でやろう」という方向に進んでいったように見えます。
なのですが、この死刑囚からは「オレは殺されてもやるんだ」という革命家としての「覚悟」は全く感じられません。
もちろん、覚悟があればエラい、ってことではありませんが。
被告自身は、むしろ子ども好きで、…結婚し子どもを育てることに生きがいを見出せれば、別の人生があったはずだ。いわゆる「非モテ」や、貧困や怨恨などといった理由から行った犯行ではないのだ。
「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(西角純志著、明石書店)P271より引用
裁判では言及されなかったが、被告は優生思想もヘイトクライムもナチスドイツの「T4作戦」も知らなかった。
公判中に「歌手か野球選手になれば事件を起こさなかった」という趣旨の発言も見られたが、浅はかな知識での短絡的な犯行である。
事件の重大さとは釣り合わない、死刑囚の「サラサラした感じ」「軽さ」「普通っぽさ」ばかりが目立ちます。
「人格に深みがない」という指摘もありましたが、26歳(犯行当時)の若者なんて、知識・経験を重ねた「立派な大人たち」から見たらそんなもんでしょう。
この死刑囚は、モンスターではないのです。
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