自らをどんどん取り返しのつかない方向に追い込んでしまった「認知の歪み」〜やまゆり園障害者殺傷事件011

この死刑囚は措置入院させられ、精神障害者というレッテルを貼られてしまったことで「弱者を排除したい」という思考が強まっていったのではないか、という論考を以前紹介しました。

 気を付けなればいけないのは、「措置入院」=「精神障害者というレッテル」なのであって、「措置入院」=「精神障害者」では必ずしもないことです。

香山 先程出た絵の細部へのこだわりとかを見ると、誤解をおそれずに言うと、むしろ発達障害的なものがベースにあったんじゃないかと思えてしまいますね。
松本 もしかすると、こういう事件を起こしていなくて、普通に精神科の診療室で会っていたら、「発達障害っぽいかな」と感じる精神科医は少なくなかったような気がします。

「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P215より引用

 「香川」は香川リカさん、「松本」は松本俊彦さん、お二人とも精神科医です。

 こういう見解は雑誌メディアだから掲載できるものであって、テレビや新聞で紹介されることはありません。

 「精神科医という権威がお墨付きを与えた」と喜びながら「発達障害児(者)は犯罪者予備軍」というヘイト発言をネットで繰り返す匿名の人々が現れ、当事者団体がテレビや新聞の報道の仕方に意義を唱えるーというありがちで陰惨な展開が予見されるからです。

精神医療ではクレイジーとマッドを分けるのですが、彼はクレイジーではあるけれどもマッドではない。つまり極論ではありますが、頭がおかしくなって、判断力が喪失して妄想的になった結果出てきた判断ではない。

同P233〜234より引用

 こちらは、同じ本にあった精神科医・斎藤環さんのインタビューです。

 「強者」や「超人」に憧れるこの死刑囚は、こんなふうに分析されるのは面白くないでしょう。

 ぼくがこの事件関連の本を読んでいて頭に浮かんだ人物像は、「ケーキの切れない非行少年」でした。

 絵がすごく上手なのでケーキを切るのは得意でしょうが、「認知の歪み」が強そうだな、と。

文句を言わずおつきあい頂いた33人の家族と被害者を尊敬します。

「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P171 より引用

ー33名とは?(これは他の記者の質問)
U 全部で45名いるうちの、意見陳述を行った11名を除いた数です。だから34名ですが、間違って言ってしまいました。
ーそうか。でも意見陳述しなかった遺族だって、法廷で陳述した人と同じ気持ちだったんじゃないの?
U …。

「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P128~129より引用

 前者は第16回 公判(結審)で被告が最終意見陳述を行った際の締めの言葉、後者は結審から判決公判までの間に月刊「創」編集長の篠田博之さんが行った接見でのやり取りです。「U」は被告のことです。

 最終意見陳述を傍聴した雨宮処凛さんが「ガクッと力が抜ける気がした」と書いていましたが、ぼくもこの部分を読んだ時、本当にビックリしました。

 この死刑囚(当時は「被告」)は、これまでの公判で遺族が述べた悲しみや怒り、処罰感情を「文句」だと思っていて、裁判所で証言しなかった34人の家族は「文句を言わない」=「自分の考えに同意してくれている」と捉えていたーということです。

 で、篠田さんから「意見陳述しなかった遺族だって、法廷で陳述した人と同じ気持ちだったんじゃないの?」と問い掛けられ、沈黙してしまった。

 自らの想像力のみでは、たどり着けなかったのでしょう。

そんなカードにハマった被告は、友人たちに「革命を起こす」「障害者を殺す」としきりに言うようになる。50人くらいには言ったという。
「半分以上に同意、理解してもらいました。自分は冗談をよく言いますが、一番笑いが取れました。真実だったから笑いが起きたんだと思います」

「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P96 より引用

 第8回公判で弁護士とのやり取りの際に答えたものです。

 「そんなカード」というのは、被告が犯行前にハマっていたイルミナティカードという、世界の出来事を予言するカードのことです。

 この部分を読んだ時は、驚きではなく、やり切れない気持ちになりました。

 どうして「真実だったから笑いが起きた」と解釈してしまったのか…。

 友人たちが見せた「笑い」から友人たちの「気持ち」をちゃんと想像することができていれば、彼は犯行に走らなかったかもしれません。

 雨宮さんはこう続けています。

もしかして彼は、困った果ての苦笑いや、「何バカなことを」という嘲笑などの区別がつかなかったのではないだろうか?
友人たちを「笑わせて」いるつもりが、本当は「笑われていた」のではないだろうか?

 言葉とボディランゲージを交えた双方向のコミュニケーションに難があったように思えてなりません。

 彼は、何でも自分に都合のいいように解釈する「おめでたい」性格のようにも見えますが、対外的なコミュニケーションがうまくいかず「生きづらさ」を抱えていたのかもしれません。

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