「発達障害児の親あるある」②子育てに熱心でマジメな人だと思われる

前に「あるある話」として、一方的に不幸認定されて新興宗教に勧誘されたことを書きました。今回のテーマに関連して申し上げますと、妻は5年前からABA(応用行動分析)を使った家庭療育を続けていて、ぼくは息子とよく遊びます。お互いマイペースで子育てしているとは思うのですが、それらをもって「熱心でマジメ」かというと、ちょっと違う気がするんです。

 だいたい、このサイトのタイトルが「ビールと祭りと療育と」ですからね。「部屋とYシャツと私」に少し似ていますし、伊集院光さんがやっているTBSラジオの朝の番組のタイトルにも少し似ています。パクったつもりはありませんが、結果として少し似てしまいました。すみません。

 お子さんが自閉症と診断された保護者の方が「どうしよう」と思ってGoogle先生に助けを求める時に、検索窓に「自閉症 ビール」「療育 祭り」とは入力しないはずです。これら2つの単語の組み合わせに「切羽詰まった感」はまるでありません。
 それゆえに、Google検索からこのサイトにたどり着く方はほとんどいないと思われます。でも、この少し変わったタイトルは現在の妻の人生そのものを簡潔に表しているような気がして、とても気に入っているのです。

 息子に診断名が付いた日から数えると、妻とぼくの「障害児の親」としてのキャリアは6年弱(2019年12月現在)になります。新人の域は脱したと自負しておりますが、中堅には至らず、まだ見習いレベルだと思っております。

 考えてみると、「障害児の親」になるまでに、障害があるお子さんを育てている親御さんを、妻を新興宗教に勧誘してきた人たちと同じような発想で「不幸でかわいそう」と思ったことはありませんし、「子育てに熱心でマジメ」だと思ったこともありません。
 身近に「障害者の親」がいなかったこともあって知識と想像力は欠如していましたが、それゆえ偏見や思い込みからも自由だったといえます。まあ物は言いようです。

 その程度の認識からわれわれ夫婦は「障害児の親」となり、周囲から「障害児の親」と認知されるようになり、「障害児の親」コミュニティーに参加し始めたわけです。

 ここまでの流れを振り返ります。

 息子に自閉症という診断名が付いたのは2歳1カ月の時で、その2カ月後に「つみきの会」に入りました。障害児の親としてのキャリアとほぼ同じ期間、つみきの会と関わっていることになります。

 ABAを使った家庭療育を行なっている保護者のグループですので、当たり前といえば当たり前ですが、皆さん子育てには非常に熱心です。当時は転勤で新潟県小千谷市に住んでおり、約100キロ離れた新潟市で年に何回か開催される「つみきの会」定例会に家族で参加しておりました。

 ぼくは車での送迎と息子の子守りが主な役割でしたので、定例会の雰囲気はあまりよく分かっておりません。
 メンバーである妻は毎回、代表からの「ダメ出し」に落ち込み、代表の講話を聞きながら貪欲にメモを取り、他の保護者の方やセラピストさんの話を聞いては初心に帰って奮起するーということを繰り返しておりました。

 子どもの療育のために各家庭がどれだけの時間と労力と金銭を費やすかというのは、親御さんの考え方だけではなく、家庭環境や勤務先の事情、体調など、さまざまな要素が絡み合って総合的な判断で決められるものだと思います。

 それは分かっているつもりですし、比較することに意味もないのですが、「つみきの会」のメンバーって、いろいろと「スゴいなー」って方が本当に多いんです。
 で、翻ってわれわれ夫婦はどうかというと、一貫して「まあ、できる範囲で、できることをボチボチやってくか」というスタンスでした。

 息子に診断名が付く前から、妻は小千谷市の自然派子育てサークルに入っておりました。ママ友の皆さんからはいろいろな形の「優しさ」をいただき、そのおかげもありまして心地良くも濃密な時間を過ごすことができました。
 本当にありがたかったです。小千谷での生活と出会いは今でも大切な財産です。

 小千谷市での3年間の「転勤族ファミリー暮らし」が終わり、妻の実家がある新潟県新発田市に居を構えてからが、「障害児の親」としての〝本格デビュー〟だったといえます。そういえば、新興宗教「K会」に勧誘されたのは、引っ越してすぐのことでした。

 息子が入園した障害児向け支援センター(専門的な支援付きの幼稚園)の保護者のつながり、地域のつながり、仕事関係のつながりに加え、妻には子ども時代の友人・知人がたくさんおります。
 新発田市は「勝手知ったる居心地のいい故郷」ですが、「プライバシー確保が難しくてしがらみMAXな場所」でもあります。

 「障害児の親」として新発田市での生活を始めてしばらくすると、気づいたのです。われわれ夫婦はどうも、「子育てに熱心でマジメな人」と周りから思われてるフシがあるようなのです。

 分類するとこんな感じです。

①障害児を「頑張って」育てていて「立派だ」と言われる
②家庭で「頑張って」療育をしていて「立派だ」だと言われる

 ざっくり申し上げますと、①は障害児と直接関わりのない年輩の方々、②は地元の障害児コミュニティーに属する方々(保護者や施設スタッフといった関係者)からの受け止めです。どうにも困ったものです。

 もともと妻とぼくがどんな人間かを知っている方であれば、「立派だ」などという「事実誤認」が生じる余地はないはずなのです。われわれとしても、「つみきの会」で知り合った熱心な保護者の方々を基準に、「障害者の親」として「立派だ」という自己評価は出てきようがありません。

 家庭療育をしている保護者が地域コミュニティーでわれわれ以外に見当たらないことが大きな要因なのでしょう。
 「家庭で療育をしている」イコール、「障害を持つ子どもの成長を最優先に考え、プラベートの時間も犠牲にして寝る間も惜しんで献身的に尽くしている」といったふうに思われているのかもしれません。

 でも、それは少し違うのです。療育は、夫婦の老後のためでもあるのです。

 家庭での療育を続けることで、息子の興味・関心が少しでも広がり、少しでもできることが増えていけば、将来的に息子が自立できる可能性がわずかでも高まるかもしれない。そんな期待をしております。

 息子が自立してくれれば、われわれ夫婦は老後、昼間からビールを飲み、本を読み、庭の畑を耕すという「スローライフ」(なのか?)を手に入れることができるのです、たぶん。

 息子にとっても、自力で他人とコミュニケーションが取れ、自己決定できる範囲が増え、自立した生活ができるようになった方が生きてて楽しいでしょう、きっと。お互いにWin-Winなわけです。
 「情けは人のためならず」ということわざがありますが、それにならえば、「療育は子どものためならず」という言い方もできます。

 でも、こんな説明を毎回するのはおっくうです。目の前にいる方は「立派だ」とほめてくださっているわけですので、ご好意はありがたくいただいた上で、「いやー、全然立派ではないんですけど、ありがとうございます」と曖昧な笑みを返すわけです。

 「あるある」としてはもう一つ、

③知人や同僚との会話で子どもの障害について言及するとビミョーな空気になる

って経験がある方は多いのではないでしょうか。

 ぼくも妻も、周囲の親しい人たちには、子どもの障害について積極的に話すようにしています。事前に話すほどの間柄ではない方々と雑談していて、話の流れで子どもの障害に言及することになった場合に、こういう空気になるパターンが多いです。

 例えば、

子どもにせがまれて、連休中に家族でディズニーランドに行ったんだよ。混んでるし料金高いしで大変だったわ。お前のとこは?

うちはずっと近所の公園をはしごして、イオンの中をぶらぶら歩いて、日帰り温泉行って、だったなぁ

えっ、イオン? 「どっか連れて行って」とせがまれないの?

うちの子は自閉症なんで、ディズニーランドよりイオンの自動ドアを開け閉めしている方が楽しいみたいなんだわ

おっ、おう…

 相手としては、気楽な雑談をするつもりだったのでしょう。

 こんな場面では、どう対処するのがスマートなのでしょうか? 「障害者の親」としてこれから精進を重ねていけば、妙案が浮かんでくるのかもしれません。

 しかしまあ、療育関係での出費はありますが、トータルでみると健常児よりかなり「安上がり」ですね、わが息子は。興味があって熱中できるものを彼が見つけるまで、お金は貯めておきます。

 息子に診断名が付くまでは、障害児の親御さんが日々どのような気持ちで子育てをしているのかを想像したことがありませんでしたし、想像してみようと思ったこともありませんでした。ですので、息子の障害について話した際に少し困惑した感じになっている相手の気持ちはよく分かります。「なんか申し訳ないなぁ」とも思います。
 障害について話題にした際に、「よく分からないから、不適切なことを言って相手を傷付けてはいけない」と気遣ってからか、沈黙される方もおられます。こうした「優しさゆえの沈黙」をどう受け止めたらいいかということも、これからは考えなくちゃいけないですね、「障害者の親」上級者を目指すためには。

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