療育とプログラミングの類似点について素人が勝手に考えてみました

わが家では、ABA(応用行動分析)を使った息子の家庭療育は妻が行なっており、ぼくは全く関わっておりません。

 息子に診断が出た直後は、ぼくが自閉症関連の本を買いあさり、ネットで調べまくりました。

 しかし、「つみきの会」のHPを見つけて妻に勧め、妻が入会して家庭療育を始めてからは、「つみきブック」(会のテキスト)を1回通読しただけで、現在に至るまでの数年間、療育関係の本を一冊も読んでいません。

 夫婦ともにABAの知識を身につけて2人で療育を実践しているご家庭もあるかと思われます。その方が効率はいいでしょうし、息子の療育にかける時間も長く取ることができたでしょう。分かってはいましたが、なぜかぼくはABAの勉強を進めませんでした。
 当時、それほど仕事が忙しくはありませんでしたし、勉強するのがおっくうだったわけでもありません。はっきりした理由は今も分かりません。

 何となく「自分も乗り出して主体的にやるよりも、妻のサポート役に徹した方がうまくいく」と判断したのです。

 そして、妻はABAによる家庭療育を一手に担い、ぼくは息子の遊び相手、基礎的な情報収集、行政との交渉、書類の作成などを行なうーという役割分担が自然に出来上がっていきました。

 ただ、息子の遊び相手をする上で、ABAの考え方(「強化」「消去」など)に沿った対処をした方が療育の効果が高いという判断から、妻から具体的な対処法を聞いては実践していました。実家の両親にも「つみきブック」を読んでもらいました。

 前置きが長くなってしまいましたが、何をお伝えしたかったかといいますと、この文章を書いているぼくは、「ABA療育の知識がほとんどない」ということです。
 ABAについて知っているのは、妻から聞いた断片的な情報と、「つみきの会」支部定例会で何度か見たセラピーの様子ぐらいです。

 ここまでが「その程度の認識や知識であえて申し上げます」という前振りでして、ピントが外れているかもしれませんが、最近、「これってABAの療育にそっくりじゃないか」というものを見つけました。コンピューターのプログラミングです。

 といっても、ぼくはプログラミングの方も全くの素人です。数カ月前に読んだ「プログラミングを知らないビジネスパーソンのためのプログラミング講座」(福嶋紀仁著、CCCメディアハウス)という本が頭から離れなくて、こんなことを書いてみようと思い立ちました。

 こんなタイトルの本を読むのだから、さぞかし意識高い系のビジネスパーソン(地に足がついていない感じの言葉ですよね )なのだろうと思われた方もおられるかもしれませんが、決してそうではありません。
 来年度から小学校でプログラミング教育が必修化されるそうだし、まあ一般教養として簡単そうなのを読んでみるか、という程度です。この本がまさか、息子の療育について考えるきっかけとなるとは想像もしていませんでした。

 本文から一部引用します(太字は筆者)。

コンピューターには「はずだ」「だろう」は通じない。相手が人間であれば、新入社員でも言わなくてもわかることがあるはずだが、コンピューターにはそれがないのだ。

「プログラミングを知らないビジネスパーソンのためのプログラミング講座」より

 こちらは、目次のタイトルを抜粋したものです(同)。

プログラミングは一歩ずつ着実に
プログラムの不備があればコンピューターは動けない
コンピューターに与える一つひとつの指示はシンプルなものだ
コンピューターウイルスの正体はプログラム

「プログラミングを知らないビジネスパーソンのためのプログラミング講座」より

 いかがでしょう? 発達障害児の療育をされている方は、何か思い当たることはないでしょうか?

 引用部分の「コンピューター」という言葉を「わが息子」に、「プログラム(プログラミング)」を「療育」にそれぞれ置き換えてみます。

わが息子には「はずだ」「だろう」は通じない。相手が健常児であれば、0歳でも言わなくてもわかることがあるはずだが、わが息子にはそれがないのだ。

療育は一歩ずつ着実に
療育の不備があればわが息子は(適切に)動けない
(療育により)わが息子に与える一つひとつの指示はシンプルなものだ
わが息子の問題行動の正体は療育(の不備)

 あまり違和感がありません。というか、「そのものズバリ」な感じですし、読み上げると息子の顔が浮かんできます。

 ただ、かなり大ざっぱな比較ではあります。「自閉症(発達障害)がある子どもを、機械であるコンピューターになぞらえるのはけしからん」「療育はその子どもに合わせてアレンジして実践するものであって、コンピューターを画一的に動かす命令であるプログラムとは性質が違う」という異論やご批判が寄せられることは想定されます。お気持ちは分かります。

 当たり前ですが、コンピューターはどんなに高性能であろうとただの機械式計算機であり、心や知性、思考、哲学といったものはありません(*1)。
 そこが人間との違いであることは踏まえた上で、コンピューターとの比較から以下のようなことを考えました。

①自閉症児は「あいまいさ」を解さないがゆえに、療育(プログラミング)は論理的かつ科学的な手法で行わなければ意味がない。

②自閉症児に合わない療育(プログラミング)はいくら行っても効果がない。自閉症児の問題行動がなかなか消えないのは自閉症児のせいではなく、プログラムの中身が間違ってる可能性も高い。

③別の見方をすれば、その子に合った療育(プログラミング)が正確に行われれば、自閉症児は健常児以上に、しっかりと確実に物事を成し遂げることができるようになるかもしれない。

 息子と接する上での心構えとして、こういうふうに考えることは役に立っています。あいまいさを排して論理的に、と。それでも分からなければ、ABAを学んでいる妻に聞くことにしています。

 最後の項目は親としての願望がかなり入っておりますが、自閉症児に何かの作業を任せる際に「周りを見ながらテキトーにやっといて」「言葉で説明しなくても何となく分かるだろ」って指示は全く通用しなくて、ましてや体罰など全くの逆効果でしかないということを知っていただくためには、療育をコンピューターのプログラミングに例えると伝わりやすいのかな、と思いました。

 パートナーがいるご家庭で子どもを療育する場合、2人とも同じように関わった方がいいかどうかはきっと、その家庭の数だけ正解があるのでしょう。われわれ家族は、これで良かったと思っております。何よりも優先すべきは、療育を担う主たる監護者(多くの場合は母親)の「心身の健康」と「持続可能性」だと考えます。SDGs(持続可能な開発目標)なんて言葉もメジャーになってきましたしね。
 ぼくはもともとコンピューターやIT系の専門知識はあまりなかったのですが、このサイトを立ち上げるに当たってWebデザインの本を何冊か読んでコードを書く経験をしたことで、そういう分野に「親しみ」を持つようになりました。息子のおかげで人間的な視野が広がったともいえます。
 自閉症児の家庭療育をなさっているプログラマーの方がおられたら、ぜひご見解をうかがってみたいです。余談ですが、(*1)の注釈を付けた部分の表現だけ不自然に自信満々なのは、今読んでいる「AIには何ができないか データジャーナリストが現場で考える」(メレディス・ブルサード著、作品社)の完全な受け売りです。非常に優れた本ですので、ご興味を持たれた方はぜひ。

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