いつまで「かわいい」が通用するのだろうか

先週、支援級の担任の先生から「●●(息子の名前)さんは大人になったら何がしたいのか、聞いておいてください」というお題が出されたそうで、夕食の時に妻が息子に質問していました。

●●は、大人になったら何がしたい?

とととママと3人でビールを飲みたい!

お〜!

いいね〜!

 なんと素敵な回答でしょう。いい息子だ。

 息子の答えを受けて、妻は「大人になったら、働いてもらったお金でとととママと3人でビールが飲みたいです」と言っていた、と先生に伝えたそうです。

 すると翌日、先生が少し困った表情で妻に聞いてきました。

あの〜、お母さん、昨日うかがったお話ですけど…、「大人になったら、働いてもらったお金でお父さんとお母さんと三人でお食事がしたいです」という感じに変えてもよろしいでしょうか?

いいですよ〜(笑)

 小3の児童(しかも重度自閉症児)が「大人になったらビールが飲みたい」と言っていることを教育現場で発表するのは教育上、あまり良くないのかもしれません。

 いつも一生懸命に息子をみてくださる先生を困らせてしまったようで、少し申し訳ない気持ちになりました。

 そんなこんなで、息子は先日、9歳になりました。

廊下に扇風機を並べる息子
写真=廊下に扇風機を並べて喜ぶ息子。外は雪が積もり始めたというのに…=2020年12月、新潟県新発田市

 この1年でできるようになったことを挙げていけば「自転車のペダルをこげるようになった」ことを始め、いろいろと思い浮かべることができます。

 同い年の健常児(者)とだんだん発達の差が広がっていくことは分かりきっていますし、気にもしていません。 

 ただ、いつまで「かわいい」が通用するのだろうか、ということを最近考えるようになっています。

 わが家に遊びに来てくれる同級生の女の子と話していても、語彙が豊富で大人びた感じもありますが、まだまだ親の愛情をストレートに求めてくれる年頃でもあることが分かります。

 健常児である彼女ら彼らは、もう2〜3年もすれば親の愛情をストレートに求めてこなくなるでしょう。
 幼い頃に得た親からの愛情をベースに、いろいろな知識・経験を積み重ねながら視野を広げ、「親離れ」していくことでしょう。

 息子の場合、障害の特性や重さを考えると、「大人」と呼ばれる年齢に達しようとも、親を始め周囲の人々の助力や公的福祉のサポートがなければ生きていくことは難しいはずです。

 そんな事情から、健常児のような「親離れ」はできなくとも、「親や周囲の人や公的制度の助けは必要だし求めてはいくけれど、精神的には一人の人間としてある程度自立しているんだ」という意識になってもらいたいですし、そうなるように導いていければと思っています。

 息子はまだ、所構わずママに甘えようとしますし、「こんなふうに全力でかわいがることができるのは今だけだ」と思って妻もぼくもそんな息子を受け止めています。
 まあ、かわいいですしね。

 しかし、もっと身長が伸びて第二次性徴を迎えるようになってからも同じ調子だとしたら、周囲からみて奇異な感じがしますし、親としても複雑な心持ちになるでしょう。
 もう、「かわいい」では済まなくなってきます。

 息子の方から少しずつ親と距離を置いてくれるようになればいいのですが、そういう感じが全くみられなければ、いずれ親の側から距離を置かなければならない時期が来るでしょう。

 この辺のことは、先輩ママさんたちから体験談をうかがい、「傾向と対策」を学び、心の準備をしなければいけません。

 「3人でビールを飲む」という目標まであと11年、乗り越えなければいけないことがたくさんあるようです。

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