スヌーピーの言う通り「配られたトランプで勝負するっきゃない」とは思うのですが…
息子の障害について話題にすると微妙な空気になることが結構あります。
障害児の保護者同士、学校や支援者の方々、息子のことを知っているご近所さんであれば、何の引っ掛かりもなく話が進みます。
まだそれほど距離が近くない方々と雑談をしていて、「話の流れからいって障害のことに触れた方がいいかも」と思って言及する時が危ないんです。
相手が反応に困って言葉が途切れてしまい、「気を遣わせて悪かったなぁ」と思いながらこちらから雑談を曖昧なままフェードアウトせざるを得なくなる。
「障害児の親あるある」かもしれません。
その点、子どもはストレートですので、こちらもややこしく考える必要がありません。
「ねぇねぇ、●●さん(息子の名前)って何でしゃべれないの?」と聞かれれば、「そういう病気なんだよー」と答えています。
障害の概念を説明するのは難しいので、病気ということにしています。
うちによく遊びに来てくれる同級生の女の子から、妻はこんなふうに言われたことがあるそうです。
●●さんのママは何でいつも笑顔なの?
妻としては「あなたたちが遊びに来てくれるのがうれしいからだよ」ってことなのですが、当たり前ですが、健常児のお母さまたちも常に笑っているわけではないのでしょう。そりゃそうだ。
そりゃそうなのですが、健常児の女の子からの指摘は思い当たるところもあって、確かに妻もぼくも深刻さをあまり外に出さないようです。
意図して深刻さを隠したり秘めたりしているつもりはありません。
さりとて、楽観的な性格かというと、妻もぼくもそうではない気がします。
このブログもしかりで、悲しみや辛さをつづるでもなく、感情がむき出しになるでもなく、療育こんなに頑張っていますという報告でもなく、息子はこんなにすごいんだというアピールでもなく。
ドラマチックではなくメリハリに欠けていて喜怒哀楽も濃くはありません。
「退屈な人」と評されても、反論はしません。
ただ、「いま幸せですか」と聞かれれば「幸せですね」と即答できます、たぶん妻も。
息子に診断名が付いたのが2歳1カ月の時ですので、「自閉症児の親」としてのキャリアは7年3カ月目となりました。
診断名を告げられた際も、びっくりはしましたし受け止めるのに時間は掛かりましたが、「不幸だ」と思ったことは一度もないです、そういえば。
「調べなきゃならないこと」「考えなきゃならないこと」「覚悟を決めなきゃならないこと」はいろいろ出てくるんだろうな、ということは頭に浮かびましたが。
諦めてしまったこと、捨ててしまったこと、考えすぎないようにしていること、感覚がマヒしてしまったこと、どこか醒めてしまったこと、これまでにいろんな感情があったのかもしれません、いま思い出せないだけで。
スヌーピーの名言を引きます。
「配られたトランプで勝負するっきゃない」ってのはその通りです。
勝負といっても、他人との勝ち負けを競うつもりはありませんが。
ここまでユルく子育て&療育を続けてこられたのは、家族関係が良好であることと、周囲の理解があることと、息子の体が頑丈なことーに尽きます。
Twitterでこんなことを書くと、「自慢か?」「辛い状況にある人への配慮が足りない」「この文章を読んで不快な思いをした。謝罪しろ」などと炎上するかもしれません。
ここはTwitterでなく個人ブログですのでご容赦いただきたいのですが、ここまで読んで不快に思われた方がおられるかもしれませんので、念のため謝罪しておきます。申し訳ありませんでした。
もちろん、平穏さを自慢したり他者を傷つけたりする意図はなく、「いまこんな状況にあってこんなふうに思っています」ということを書いているだけのつもりです。
そんなわれわれ家族3人も今後、何が起こるかは分かりません。
妻が先立ってしまったら、ぼくが一人で息子を育てるのはぼぼ不可能でしょう。
ぼくが先に死んでしまったら、妻も一人で息子を育てるのは、かなりしんどいと思います。
政府は先月(2021年2月)、孤独・孤立対策担当室を新たに設置しました。
新型コロナウイルスの影響で深刻化する貧困や自殺などの問題に対応するのだそうです。
外出自粛に伴って女性へのDVや児童虐待が世界的に増え、女性や未成年の自殺者が国内で増えているとの報道も最近ありました。
社会がギスギスしてくると、その歪みは弱いものに向かいます。
子育ての大変さは、家庭環境やお子さんの性格などによって千差万別でしょう。
加えて、障害児の子育てとなると、お子さんの障害の種類・軽重、専門的な助けが得られやすい環境かどうかなどで、深刻さが変わってくるはずです。
配られたトランプの札があまりにもバラバラで「どう勝負すりゃいいんだ」と途方に暮れている方は、「助けを求め続ける」「叫び続ける」ことが大事だと思います。
子どもを、しかも障害がある子どもを1人で育てるのは極めて困難なことです。
「困っている方」を救うために税金が再配分されるべきなのですが、行政が社会の変化に十分に付いていけずポンコツになってきていて、「子ども食堂」など民間の活動が行政の至らない部分をカバーするようになっています。
行政のポンコツさを指摘し続け改善を求め続けると同時に、どうしたら身近にいる「困っている方」たちとつながり、助け合うことができるかを考えていこうかと思っています。
トランプはきっと、大勢でプレーした方が楽しいでしょうから。
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