当事者家族は各方面に遠慮して忖度する習慣が自然と体に染みついているため、思ったことをストレートに言いにくい〜当事者家族が考える「感動ポルノ」①

かなり昔に大きな話題となった「奇跡の詩人」に関する記事を少し前に書きました。

 記事に対して、数年前に仕事でお世話になったNさんからコメントをいただきました。

 このブログは建前上、匿名の体で運営しておりますので、記事の本文ではお名前を匿名にしております。

 Nさんは、精神障害者の自助グループを立ち上げ、新潟市を拠点に幅広く活動をされている方です。

 コメントでは、ご自身がマスコミの取材を受けた経験から、この「奇跡の詩人」とされた当事者の方が「感動ポルノの被害者になってしまった」可能性を指摘されています。

 障害の当事者は本人の意思に関係なく「感動ポルノ」化に巻き込まれる恐れがあるーということはぼくも、当事者の親となって経験を重ねる中、肌感覚で理解できるようになってきました。

 当事者と当事者家族は、各方面に遠慮して忖度する習性が長時間をかけて自然と体に染みついてしまうため、思ったことをストレートに言いにくいからです。

 以下は、ぼく自身が当事者の親となって思ったことを書きます。

 まず、周囲の方々と人間関係を構築するのに当たって、障害がある息子が「周囲の誰かに迷惑を掛けているのではないか」「今後迷惑を掛ける可能性があるのではないか」ということを真っ先に考えます。

 それゆえ、周囲の第三者とお付き合いする際、基本的には「遠慮がち」で「引いた」スタンスを取るようになりました。

 さらに、「皆さん(の支えで成り立っている福祉)のお世話になっている」という意識もあるため、社会に対して常に「感謝のメッセージ」を発し続ける必要があるのではとの思いにもとらわれます。

 日本は、地位が揺らぎつつはありますがまだまだ先進国であり、福祉制度は進歩を重ねてきています。

 発達障害や知的障害、精神障害に対する理解が進み、「合理的配慮」という言葉も使われるようになりました。ありがたいことです。

 しかしその一方で、障害の当事者や家族に対して差別的だったり攻撃的だったりする人たちは少なからずいて、それらの人々がネットを使って容易に個人攻撃ができるような環境にもあります。

 例えば、当事者や当事者家族が現在の政治に対して批判的な意見を述べた場合、「政府・与党のお世話になって生きているくせに、政治に文句を言うのはおかしい。文句があるなら国に一切頼るな」という極論をぶつけてくるー。こんな陰惨な光景がネットの世界でよくみられます。

 ぶつけてくる極論が、歪んだ認知をベースにした「社会通念上、度を超えた」「誤った」言説だったとしても、Twitterでたくさんの「いいね!」が付いて広まっていくことで、一定の世論として扱われていくことになります。

 そんな様子を繰り返し眺めることで、当事者と当事者家族は萎縮したりめんどくさくなったりして、声を上げようとしなくなります。

 もちろん、味方になってくださる方々もおられます。

 当事者や当事者家族の「困りごと」に理解・共感を示し、支援をしてくださる善意の第三者(個人・団体)は本当にありがたい存在です。

 ただ、感動ポルノを製造し、製造された感動ポルノを消費するのは、当事者や当事者家族に対して優しい「善意の第三者」たちなのです。当たり前ですが、差別主義者たちは感動ポルノを製造も消費もしません。

 これが話を複雑にしているのです。

 当事者団体に寄付を申し出る個人・団体や、当事者に仕事の発注や働く場を提供してくださる企業・団体はもちろん、当事者や当事者家族、支援団体などを取材しようとするマスコミも「善意の第三者」と言えるかもしれません。

 そうした善意の第三者から「恵まれない不幸な境遇にめげず、前を向いてひたむきに頑張り続ける純真無垢な障害者」と思われていることが伝わってきて、「ちょっと違うんだよなー」「ズレているよなー」と当事者や当事者家族が違和感を抱いたとしても、それを口にすることは憚られるのです。

訳が分からない内にカメラが回り、ディレクターの描く世界のままに放送されたのでしょう。「ちょっと待ってください」とは言えなかったと思います。

「19年前に出版された「異議あり!『奇跡の詩人』」を読み、一昔前のマスコミが「障害者の感動物語」に対していかにナイーブで騙されやすかったのかを再認識した」コメント欄より

 Nさんのコメントから引用しました。

 ご指摘のように、マスコミ、しかも「天下のNHK」ともなれば、一当事者、当事者家族からすれば、自分たちの現状に耳を傾けて広く伝えてくれる素晴らしい「善意の第三者」であると同時に、圧倒的な「強者」でもあるでしょう。

 お金や権力がある「強者」の方々が自分たちの実感と異なる「思い込み」を抱いていたとしても、相手に気に入られるためにも「好意的に接してくださっているのだし、話を合わせておこうか」となります。

 もちろん、当事者、家族にとっての「強者」はマスコミに限りません。

 障害児(者)に理解があって寄付や雇用をくださる企業・団体は当然のこと、補助金の交付の事務手続きをする公務員、政治家(特に市区町村会議員)もそれに当てはまります。

 「強者」の皆さんにおかれましては、ご自身が「強者」だと思われていることを常に忘れず、いつも愛想良く笑顔を返してくる当事者や当事者家族が「自分にホンネを言えているのかな?」という部分で、ほんの少しでも「忖度」していただければありがたいです。

 …とまあこんな感じで、一当事者家族としては、差別主義者にも善意の第三者に対しても「ものを言いにくいポジションにいるのだなぁ」と実感しています。

 とにかく、「敵」は作りたくありませんので。

 それにしても「感動ポルノ」という言葉を作った人は天才だと思います。一度聞いたら忘れられない表現ですし、重層的にいろんな思いが込められています。

 当事者家族が考える「感動ポルノ」について、また書いていきます。

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