「自閉症児のパートナーは犬より猫の方がいい」という記事がありましたが、息子は猫よりヤギの方がいいみたい
日経BP総合研究所のサイト「Beyond Health」に「ペットの猫が自閉症の子どもの症状を改善、米ミズーリ大の研究で ー犬より猫の方が適している可能性がある」というタイトルの記事が載っていました。
自閉症系のネット記事や書籍って、「××を食べたら直った」「**の習慣をやめれば勝手に良くなる」「療育は百害あって一理なし」ですとか、何か特定の商品を売りつけようとしたり、あえて過激な見出しをつけてクリックや購買欲をあおったり、新興宗教団体の信者獲得活動の一環だったりとインチキっぽいものが結構目立つのですが、この記事はそうした「トンデモ科学」ではなく、ちゃんとした研究のようです。
インチキくさい記事は、「絶対に治る」などと根拠のない断定調を使うのが特徴です。
記事内で出典が書いてありますし、タイトルも「…適している可能性がある」と留保を付けています。
グーグル検索すると、この研究は他のサイトでも取り上げられていました。
一番親しみやすい書き方をしていた、「ナゾロジー」というサイトの記事「猫の『そっけない』視線が自閉症の子供にとっては大親友の条件だった」から引用します。
これまでの研究により、自閉症の子供は犬より猫と絆を結ぶことが報告されています。
ナゾロジー「猫の『そっけない』視線が自閉症の子供にとっては大親友の条件だった」
しかしその科学的な原因は永らく不明でした。
えっ、そうなの。知らなかった。自閉症の療育関係者の間では常識なのでしょうか?
ただ、言われてみれば「そうなんだろうな」とは思います。
以前このサイトで「自閉症は津軽弁を話さない」という本について取り上げさせていただいたことがありますが、同じような感覚ですね。
科学的な実証は難しいけれど、関係者は「そんな気がする」と感じるーという点で。
息子に当てはめてみると、猫に親愛の情を抱いているかどうかは分かりませんが、犬はあまり好きではないようです。
さらに、息子が「猫っぽい」ということは昔から妻とよく言い合っていました。
ぼくが仕事から帰ってくると、息子は家の中でストーカーのようにずっとつきまといます。トイレにも入ってこようとします。
これだけですと、相手の愛情を貪欲に求めてくるワンちゃんのようですが、ストーカー行為の途中で急にスイッチが入ると、「とと、バイバイしたい!」などと言って離れていき、近づこうとすると追い出されます。
なんとも自分勝手なのです。
スイッチはその時その時のマイブームがありますが、最近は主に「ハンガーの並び順を変えたくなった」「洗濯物を干す位置を変えたくなった」の2つです。
息子に限っていえば、自身が猫っぽいため、猫に親近感を抱きやすい可能性があるかもしれません。
再び引用します(アンダーラインは筆者)。
社会的動物である犬は、人間の目を凝視して、積極的なアイコンタクトを試みてきます。
しかし自閉症の子供にとって、この犬の視線は威圧的にとらえられる可能性があるのです。一方で、猫は違います。
ナゾロジー「猫の『そっけない』視線が自閉症の子供にとっては大親友の条件だった」
単独で暮らす傾向がある猫が人間に求めるのは社会的な関係ではなく、親子の情に近いものであり、人間に対する視線も一般的にはアイコンタクト未満の、ごく短いものになります。
猫のくだりはなんとなく想像の範囲内でしたが、「犬の視線は威圧的にとらえられる可能性がある」という部分は、全く想像がつきませんでした。
勉強になります。
一般的な人間関係は社会性がなければ築けません。
そのため社会性に難があるとされる自閉症の子供は絆を作る相手が持てず、精神的孤独に陥ってしまうことがあります。
ナゾロジー「猫の『そっけない』視線が自閉症の子供にとっては大親友の条件だった」
「相手の目を見てあいさつしなさい!」と教え続けてきたことが、彼には「威圧感に耐える辛いトレーニング」だったのかもしれないと思うと、少し申し訳ない気持ちになりました。
そういえば、息子が唯一、積極的に目を合わせることができる動物がいます。ヤギです。
ヤギの目は人間からすると奇妙な形をしていて、それゆえ「ヤギが怖い」と感じるお子さんも結構いるようです。
息子にとっては、どこを見ているか分からない奇妙な目が逆に親しみやすいのかもしれません。
猫に関していうと、息子が接したことがある猫は、たまに家の庭に入ってくるノラ猫ぐらいですので、猫に近づいてコミュニケーションを取った経験がほとんどなく、アイコンタクトをするのかどうかも分かりません。
「目を合わせなければ社会性がないとみなされ、それゆえ孤独に陥ってしまう」って、障害の特性ゆえなのですから、全ての自閉症児に一律に、療育によって目を合わせるように矯正(強制)するのは酷なことなのかもしれません。
目を合わせることがそのお子さんにとってそれほど苦痛でないのであれば、練習を重ねることによって「社会性」が身に付いて生きやすくなるーということなら教えた方がいいでしょうが、目を合わせることがものすごく苦痛に感じるお子さんの場合、テキトーでいいのではないかと。
「社会性」って言葉自体が、そもそも健常者側(多数派)が「こっちに合わせろ」と命令しているような傲慢さを感じさせます。
「社会性」の難のあるとされるわが息子は、妻やぼく、親族、学校の先生、支援者の方々に囲まれて、それほどの精神的孤独に陥っていないのではないかと勝手に想像しています。
しかし、同世代のお友達をつくることは極めて難しいことは間違いありません。
ただ、この世には、ガッツリ目を合わせてきて社会性が高い「犬っぽい人」ばかりではありません。
ゆっくりと独特な形で親愛の情を育むことができる「猫っぽい」「ヤギっぽい」人と出会うことができればいいなと思っています。
まあ、とりあえず「猫カフェ」に連れて行ってみようかな。
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