障害児の親にとって「幸せ」とは〜「重度自閉症児と暮らす日常」を記録し続けて思ったこと④

ブログを始めて1年経った現在の気持ちを整理しようと始めた「『重度自閉症児と暮らす日常』を記録し続けて思ったこと」と題した一連の文章は、この④で一区切りにしようと思います。

 いろいろな方面に気を遣うあまり、考えが整理されず長くて回りくどい文章になってしまったものもありました。
 ただまあ、ああいう歯切れの悪さも現在の心境を率直に表しているともいえるわけで、書いた意味はあると思っています。

 自己弁護めいた独り言はここまでにして、今回のテーマは「障害児の親にとって『幸せ』とは」としました。

 息子に診断名が付き、地元の療育園への通院やABA(応用行動分析)を使った家庭療育などをバタバタと始め、少し落ち着き始めた頃ですので5年ぐらい前だと記憶していますが、妻と雑談をしている時、

われわれが「余生」を送ることは不可能ではないか

という話になりました。

 数年を経て、この考えは確信に変わっていきました。われわれに余生などないのだ、と。

 息子が年齢的に「大人」になった時、障害者枠での仕事をいただけるかもしれませんが、その収入だけで自立して暮らしていくことはほぼ不可能でしょう。公的な福祉制度に頼ることになるはずです。

 一人で電車やバスに乗ることはできるようになると思いますが、自動車の運転はできないでしょう。
 運良く恋愛はできたとしても、結婚は難しいでしょう。

 となると、いま住んでいる家でずっと3人で暮らし続けることになるでしょう。

 妻とぼくが生きている限りは、詐欺師や怪しい宗教の勧誘にだまされないように彼を守り、社会的な規範を守って生きていけるよう彼を導き、金銭の管理もしていかなければならないでしょう。

 もちろん、妻もぼくもそれぞれの人生があります。
 息子に奉仕するだけで人生を終わらせるつもりはありません。

 このブログを始めた直後ぐらいにアップした「『発達障害児の親あるある』②子育てに熱心でマジメな人だと思われる」と題した記事にも書きましたが、妻もぼくも基本的に「お気楽な人間」です。

 息子もきっと同じ性質なのでしょう。お気楽で、いつも楽しそうです。

 息子が自立してこの家を巣立ち、夫婦2人で過ごす余生は無理だとしても、家族3人でのんびりと暮らしていければいいなと。

 それが、われわれ障害者の親にとっての「幸せ」なのかなと。

 年齢的に「大人」になった息子とのんびり暮らすため、ABA(応用行動分析)を使った家庭療育によって今のうちに彼の「できること」を少しでも増やしていき、地域の人々の息子の「人となり」を少しでも知っていただくことが重要だと思っております。

 これらは将来的な話ですが、いま現在はどうか。

 「しあわせは いつも自分のこころがきめる」(相田みつを)という有名な言葉があります。

 日々生活していると、いろいろなことがあります。

 うんこみたいな人に出くわすこともありますし、うんこみたいな出来事に遭遇することもありますし、うんこみたいなウイルスが猛威を振るっていたりもします。

 でも、全部ひっくるめると、第三者からどう見られているかはどうでもいいとして、われわれ家族はいま楽しく暮らせています。

 「障害児の親」としての経験を積むうち、楽しく過ごすコツが少しずつ分かってきました。

 大事なのは「気持ちの切り替え」です。

 わが家では、妻が家庭療育を一手に担っており、パート勤務の合間にPTAや町内会の活動に参加しています。
 ぼくと違って非常に社交的で交友範囲も広いため、いつも忙しくしています。

 ぼくはフルタイムで働く会社員ですが、現在は夜勤あり早朝出勤ありの変則的なローテ勤務ということもあって、下校時に学校に迎えに行ったりと、息子と過ごす時間は案外あります。

 とはいえ、息子と過ごす時間は圧倒的に妻の方が長いです。
 特に長期休みの際はずっと顔を突き合わせているわけで、かなりしんどそうです。

 そんな中で心掛けているのは、妻が「息子と離れる時間」を意識して作ることです。

 気持ちの切り替えができる時間がなければ、「持続可能な子育て」を行っていくことは難しいと思うからです。

地元の海水浴場でストライダーに乗る息子
写真=地元の海水浴場でストライダーに乗る息子。ことしの夏は、この場所がお気に入りの一つでした=2020年8月、新潟県新発田市

 その代わり、ぼくの方は、息子とできる限り長い時間を一緒に過ごすようにしています。

 仕事以外のほぼすべての時間を息子と一緒に過ごしていると言っても過言ではありません。
 例えば、明日死んだとしても「もっと息子と一緒に居てあげれば良かった」と後悔することだけはないと確信しています。

 息子はぼくが家にいると本当にうれしそうで、ぼくが動くとずっと付いてきて、家庭内ストーカーといった感じです。
 ぼくがトイレに入っていると、ドアの前でずっと待っています。

 でも、ぼくが夜勤明けで寝ている時には、無理に起こしに来ません。
 妻の療育のおかげで自制ができているようです。ありがたいことです。

 とはいえ、子どもと2人でずっと遊んでいると、「単調さ」や「退屈さ」を感じるようになります。
 反復行動を好む自閉症児が相手であればなおさら強く感じると思います。

 ただ、そんなふうに時間を過ごしているうちに、「単調さ」「退屈さ」の中から「楽しさ」や「変化」を見出すことができるようになってきました。
 大げさな例えですが、宗教家の修行もこんな感じなのかもしれません。

 こんなふうに書くと、ぼくがまるで「子どもとの時間を最優先にしている立派な障害児の父親」のように誤解される向きもあるかもしれませんが、決してそういうことではありません。

 家庭療育のすべてと学校関係のことのほぼすべて妻が担ってくれているからこそ、ぼくが「お気楽」に「無責任」に「いいとこ取り」な感じで息子に関わることができているからに過ぎないのだと思っています。

 最後に、Twitterでフォローしている花樹さん(@dmflower0824)のツイートを引用させていただきました。

 なるほど。診断名が付いてから就学前ぐらいの一番シンドかった時期にも、妻がぼくにネガティブな話をあまりしてこなかったのは、花樹さんと同じような考えからなのかもしれません。

 そういえばこのブログも、ネガティブな話はほとんど書いていません。
 ではポジティブかどうかというとよく分かりませんが、「総じてあまり深刻ではない」という線には落ち着いているような気がします。

 これまでお読みになった方には、「恵まれた家庭環境ですね」と受け止められる向きも、「親がこんなテキトーでお子さんの将来は大丈夫なの」と引き気味な関係者の方もおられると思われます。

 ブログを1年間続けてみての到達点?はこんなところです。
 次回からは「通常モード」の身辺雑記に戻ります、たぶん。

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