ミュージックセラピーと「Jリーグ100年構想」
このブログを始めて7ケ月超になりますが、先日、初めてブログのコメント欄にメッセージをいただきました。息子がお世話になっているミュージックセラピー(音楽療法)の先生からでした。
過分なお言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。
息子は就学前から月に2、3回のペースで先生のミュージックセラピーに通っています。
以前にも書きましたが、いわゆる「習い事」ではありませんし、英才教育のつもりもありません。
彼に適性があって実力がぐんぐん伸びていくのであれば、それはそれでハッピーですし、適性がなくたって(ないようですが)、彼が成長していく上で何らかの形で必ず役に立つはずです。
協調性を身につけることや自己表現をすること、コミュニーケーション能力の向上につながっていると感じていますし、音楽が好きになったのはうれしいことです。
最近は妻のスマホで合唱曲を聴くのがマイブームのようです。
わが家では息子の日常生活の一つとして定着しているミュージックセラピーですが、息子にとってミュージックセラピーってどういうものなのだろうとあらためて考えてみると、「Jリーグ100年構想」という言葉が記憶の片隅から浮かんできました。
Jリーグ100年構想と聞いても、サッカー関係者以外の方はピンとこないと思います。ぼくはスポーツが苦手でスポーツ観戦の趣味もありませんが、今から二十数年前、Jリーグ発足時にこの構想について知り、興味を持ちました。
Jリーグの公式ホームページに100年構想について説明した部分はあるのですが、簡潔すぎて政治的な歩みなどが伝わらないような気もしましたので、Wikipediaから引用します(下線は筆者)。
【経緯】
Wikipedia「Jリーグ100年構想」より
そもそもは1996年のJリーグ開幕に向けて作られた、キャンペーンのキャッチコピーに由来する。…当初は「あなたの町にも、Jリーグはある。」がメインのコピーとなり、「百年構想」はそれに添えられる形となった。
【概要】
「緑の芝生に覆われたスポーツ施設や広場を作る」、「サッカーを核に様々なスポーツクラブを多角的に運営し、アスリートから生涯学習にいたるまであなたが今やりたいスポーツを楽しめる環境作りを目指す」、「スポーツを通して様々な世代の人たちが触れ合える場を提供する」ことを目的としている。
自分が住んでいる街にスポーツクラブがあって、老若男女、運動神経の高さや障害の有無に関係なく、各人が自分のペースでスポーツを楽しんでいる。指導者は地域の大人。クラブからプロの選手が誕生すれば、みんなで「街のスター」を応援し、その活躍によってクラブがさらに活気づく。100年かけて日本にこういうスポーツ文化を根付かせたい。
当時こんな理想が語られていたと記憶しています。
Jリーグ誕生前、スポーツといえば学校の体育、プロ野球というイメージが強かったと思います。
なにせ「体を育てる」と書いて体育ですからね。学校の授業で「スポーツを楽しもう」という発想がそもそもなかったといえます。
「体罰」「しごき」「監督・先輩の命令は絶対」「連帯責任」「男尊女卑」「丸坊主」…。ぼくが子どもの頃に学校にいた体育教師を思い出すと、こんな言葉が真っ先に浮かびます。
「スポーツは好きだけど体育は嫌い」という人も一定数おられたのではないでしょうか。
そして、体育ほどではありませんが、学校の音楽の授業にも「音楽を楽しもう」という発想があまりなかったのではないでしょうか。
教育方法は進化していますので、現在の音楽教育は違うのかもしれませんが、少なくともぼくが子ども時代に受けた授業で覚えているのは、教室に飾ってあったバッハやベートーベンの肖像画だったり、クサい歌詞の合唱曲ぐらいのものです。
音楽を聴くのも演奏するのも好きですが、授業のおかげで音楽が好きになったということではありません。
そんな教育環境の中でも、プロのスポーツ選手や音楽家は誕生するわけですが、そうしたごく一部の「エリート」以外にとって、体育や音楽の授業は「苦痛だったり退屈だったりするけど、まあ学校の授業なんてそんなもの」という感じだったのではないでしょうか。
ましてや、重度自閉症があるわが息子がそんな授業を受けたら、体育も音楽も嫌いになってしまうでしょう。
ミュージックセラピーからJリーグ100年構想を連想したのは、どちらも「勝ち負け・上手下手」ではなく、「その人なりにいかに物事を楽しむか」ということに主眼を置いていると思ったからです。
音楽もスポーツも、自分の思いを第三者に伝えることが苦手な障害者が自己を表現し、仲間を増やしていくことに役立つはずです。
セラピーを通じて音楽に触れ続けることで、彼の人生が少しでも彩りが豊かになってくれればいいなと思っております。
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