障害者に優しい社会に「進化」しつつあるのかどうか問題〜統合失調症の男性が「精神科長期入院は『強制で違憲』」として国を提訴したというニュースを読んで思ったこと②
「統合失調症により通算して約40年もの間、精神科病院に長期入院してきた69歳の男性が国を相手取って損害賠償を求める裁判を起こした」というニュースについての感想を前回書きました。
この続きです。
こんなタイトルを付けましたが、結論から申し上げれば、障害者に優しい社会に「進化」しつつあるとぼくは思っています。
アラフィフのオッサンですので10代20代の頃に聴いた音楽や読んだ本などを手に取ってノスタルジーに浸ることはありますが、障害児の親としては、「昔は良かった」などとは1ミリたりとも思いません。
昨年より今年、昨日より今日の方が「障害児(者)が生きやすい社会に進化しているはずだ」と信じております、願望もこめて。
息子は現在8歳10カ月で、診断名が付いたのが2歳1カ月の時でしたので、妻とぼくの「障害児の親」としてのキャリア?は6年半ぐらいになります。
お子さんがもう成人していたり、上の子が中学生・高校生ぐらいの先輩ママさんから、「以前と比べて、障害がある子どもが『変な目』で見られることがほとんどない」という話を何度か聞いたことがあります。
これは、なんとなく分かります。通常級のクラスメートをはじめ、同じ小学校の児童たちの様子を登下校の時などにみる限り、息子にフツーに接しているんですよね。
ぼくが小学生の頃というと40年以上前ですが、支援学級(名称は違いました)の子たちと学校内で交流した記憶はなく、登下校時にあいさつしたり話し掛けたこともほぼありませんでした。
「特別支援教育」「合理的配慮」なんて言葉もなかった時代ですし、障害児に対する教員の意識が当時と今では全く異なっているのでしょう。
精神の分野も同様で、「うつ」がこれだけ身近なものになるとは、ぼくが就職した二十数年前には想像もつきませんでした。
妻もぼくもかかったことはありませんが、周囲には「うつ」の人が何人もいます。
状態が落ち着いて職場復帰したり以前と変わらぬ社会生活を送っている方もおり、何ら珍しくもありません。
障害や疾患とは異なりますが、LGBTもメジャーになりましたし、LGBTの方たちが社会で声を上げやすい環境になってきたことからも、社会が「進化」しているなぁと感じます。
「セクハラ」「パワハラ」など「〜ハラスメント」という概念が普及したことで、頑迷で視野の狭い年長者(権力者)が理不尽に他者を攻撃することを許さないという風潮ができてきたこともしかりで。
次に、2、3日前にTwitter上で発見した興味深いプチ炎上案件?をご紹介します。
ここまで書いてきた話の流れとつながっているような気がしましたので。
プチ炎上したツイートの一部を左に引用しました。
「おばちゃん」をテーマに、「とてもありがたい存在。」と持ち上げてみたり、「包摂的コミュニケーション」などという難しい言葉を使って「機能」を分析しています。
これに対し、TBSラジオ「生活は踊る」のジェーン・スーさん(@janesu112)をはじめ作家の方など複数の女性が怒りのツイートをしています。
ぼくは男ですが、この「おばちゃん」ツイートを読んだ時に激しくモヤっとしました。
批判ツイートの中でも指摘されていましたが、この方は「おばちゃん」をモノ化して論じています(ある年代の女性をひとくくりにして「おばちゃん」と呼んでいるであろうことの妥当性については、話が複雑になってしまいますので、ここでは措いておきます)。
「歯車がきしんだ日本社会の潤滑油」「独り身男性を人の輪に溶け込ませる稀有な存在」たる「おばちゃん」ってわけです。
勝手に「おばちゃん」というあまり歓迎されないであろう呼び方をされた上に、自分の気持ちとは無関係に「日本社会/独り身男性に役立つ」って言われてうれしいと思う女性はほとんどいないでしょう。
「発想そのものが気持ち悪い」と感じる方も多いのではないでしょうか。
また、ツイートの「おばちゃん」を「障害者」に言い換えてみると、少し違った見え方がしてくるかもしれません。
「障害児と一緒に過ごすことで、健常児も学ぶことがある」「障害に負けずに頑張る姿に心が打たれる」なんて言葉を以前聞いたことがあります。
さすがに今はストレートにこういうことを面と向かって言う人には出くわしませんが。
「おばちゃん」ツイートと障害児を巡るこうした発言には、共通した「思想」があると思われます。
- 強者(男、健常者)が、頼んでいないのにわれわれをカテゴライズ(おばちゃん、障害児)し、「弱者」だと定義づけているようだ
- 強者が、モノ化した「弱者」を「役に立つ」「素晴らしい」と持ち上げ、「いい人」「人格者」然としている
- しかし強者は、「弱者」の意見を聞こうともしないし、その思いを想像するふうもない
この考えが危険なのは、突き詰めていくと「オレたち強者(男、健常者)の役に立たなければ『弱者』の存在を否定していい」という考え方につながりかねないからです。
東京都の足立区議が議会で「同性愛が広がれば足立区が滅びる」との趣旨の発言(その後に撤回)をしたことが話題になりましたが、この発言がまさにそうです。
ただまあ、障害児の親としては、息子に優しくしてくださる方はどんな思想・信条をお持ちであろうとも、両目からレーザービームが出ていようとも口から緑色の炎を吐こうとも大歓迎です。
「めんどくさいことを言いそうだなぁ」と敬遠されると、少し悲しくなります。
こうした心情も、フェミニストの方と少し似たところがあるのかもしれません、知らんけど。
ぼくがこのツイートを引用し、プチ炎上案件を紹介したのは、「おばちゃん」ツイートをした方を責めるためではありません。
とても示唆に富むエピソードだなぁと思ったからです。
このツイートをされた方と面識はありませんが、ツイートそのものに一切悪気は感じられませんし、文章から判断するに、穏やかで知識・教養とユーモアがあって人格も円満なのではと推察されます。
そんな方でも「炎上」することがあるわけです。
炎上というとマイナスイメージが先行してしまいますので、以後は「その考え方はおかしい」「勝手にレッテル貼りをされた当事者の声を聞け」という異議申し立てがなされたーと言い換えてみます。
今は2020年の秋で、異議申し立てのテーマが「おばちゃん」だったわけですが、10年前30年前50年前にはきっと、「知的障害者」「精神障害者」「LGBT当事者」の方が、第三者からのモヤっとした発言に対し「その考え方はおかしい」「勝手にレッテル貼りをされた当事者の声を聞け」と異議申し立てをしたのではないでしょうか。
で、そうした細かく膨大な「異議申し立て」の積み重ねの末、人に優しい社会に「進化」してきたのではないか、と。大げさなまとめ方ですが。
もちろん、そうした「進化」の反作用なのか、多様性に対する不寛容な風潮がネットを中心にあることは十分承知しております。
しかし、社会全体としては、多様性を尊重する方が主流であると信じたいです。
話が拡散してしまいました。
「統合失調症で精神科病院に通算約40年間の長期入院を強いられた69才男性が国に損害賠償を求める訴訟を起こした」というニュース(「弁護士ドットコム」の記事はこちら)に触れて思ったことから書き始めたのでした。
訴訟を通じて、医療保護入院という制度の妥当性(運用方法も含め)、過去にさかのぼっての精神科病院と障害当事者の実態などが明らかになってくるはずです。
障害者雇用に関する国の政策で、精神障害は他の障害に比べて制度が整うのが遅かったことに前回触れました。
「働くこと」だけでなく、「地域の一員として共に暮らす」(厚生労働省サイトから表現を引用)という点でも、精神障害の当事者は、他の障害当事者よりも多くの「困難さ」を抱えていると思われます。
この訴訟を機に、精神障害当事者のそうした「生きづらさ」が少しでも解消されていけばいいなと、自閉症/知的障害児の親としても願っております。
一方的ではありますが、精神障害の当事者の方々は、このめんどくさい社会を渡っていく上での「仲間」だと思っております。
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