事件により社会が後退し、当事者が身の危険を感じる場面が増えてきた〜やまゆり園障害者殺傷事件より002
当たり前ですが、この事件は障害当事者に計り知れないショックを与えました。
事件を扱った本から抜粋・引用します(改行、太字、蛍光マーカーは筆者)。
でも、そのまま日常生活を送っているうちに、どんどん具合が悪くなってきて。最初は「風邪でも引いたのかな」と思っていました。
「この国の不寛容の果てに〜相模原事件と私たちの時代」(雨宮処凛編著、大月書店)P94より引用
いつもの通勤ルートを、車椅子で向かうのですが、向こうから歩いてくる知らない人に、すれ違いざまに殴られるんじゃないかという恐怖心が突然わいてきたんです。
脳性麻痺の当事者で小児科医、東大先端科学技術研究センター准教授(肩書は書籍発行時)の熊谷晋一郎さんが、この事件について知った直後の心境について語ったものです。
夜遅くに電車に乗って帰宅途中、近くに居合わせた女性が「障害者だからといって、何でも許されると思うな」と言いながら、その電車を降りていった。私はそんなことを言われる覚えはなく、とっさに障害者と見て取れるのは私だけであることを確かめ、何かを言わなければ…と思ったが、「何が?!」と言えたときは女性はもうとっくにホームの人混みの中だったと思う。
「季刊 福祉労働153『相模原・障害者施設殺傷事件〜何が問われているのか」』」(現代書館)編集後記より引用
…でもこの日、何かを言わなければと思ったのは、多分、「津久井やまゆり園」の事件に影響されたのだと思う。事件以来、街や電車などで自分のほうを見られると怖いと思うことが多くなったと感じている。
「季刊 福祉労働」という雑誌の編集担当の方の体験談を引用しました。
こんなことを見ず知らずの当事者に言い捨てる人間がいるというのは、本当に恐ろしいです。
あまりに腹立たしいので、その人間を動画撮影しながら「なぜそんなことを言ったのか」と小一時間ぐらい質問攻めにしたいぐらいの気持ちになりますが、きっと、こういう類の人とは関わり合いにならない方が賢明なのでしょう。
村上春樹さんがエッセイで、牛糞が詰まった小屋に近づいた時に「なぜ臭いんだろう」と思って小屋の扉を開けるともっと臭さにやられてしまうので通り過ぎるのが賢明ーみたいなことを書いていたのを読んだ記憶がありますが、まさにそんな感じでしょう。人生の時間は限られているわけですので。
ただ、これはぼくが直接的に差別された経験がない当事者家族だからこんなイキったことを言えるのであって、差別感情や憎しみを見ず知らずの人にぶつけられた当事者の方々の恐怖心、不快感は想像にあまりあります。
事件を起こした死刑囚が「やまゆり園」の元職員という「障害者界隈の人間」だったことは大きな衝撃を与え、事件後にこの死刑囚の「障害者殺しの論理」に賛同する意見がネットでみられるようになり、社会の不気味さが増してきました。
熊谷さんの言葉をさらに続けます。
本当に、時計の針が逆転したような感覚でした。この半世紀というのは、一進一退もありながら、総体としては社会がましなほうに進んできたと思っていたのです。障害者差別や優生思想がまるだしの時代がかつてはあったわけですから。
「この国の不寛容の果てに〜相模原事件と私たちの時代」(雨宮処凛編著、大月書店)P94より引用
障害者運動や社会モデルといった考え方の変化を経て、少しずつましになっているという理解でいました。それを一気に振り出しに戻すような衝撃がありました。
かつての「障害者差別や優生思想がまるだしの時代」から当事者や支援者が声を上げ続けたことで、少しずつましになってきたというのは、今回この事件の本をまとめて読む中で学ぶことができました。
また、「ましになってきている」というのは、自閉症・知的障害児の親としても強く実感していたところです。
いろいろと調べたり、先輩の保護者の方々の体験談を聞いたりして、「息子は10年20年30年上の当事者の方より恵まれた環境で暮らすことができている」という実感と感謝の念がありますし、「息子より年下の当事者の方はさらに恵まれた環境で暮らしてほしい」という願いみたいなものもあります。
重度障害がある「れいわ新撰組」の木村英子参院議員が、2020年3月15日付朝日新聞のインタビューで語った言葉が本に載っていました。
彼(死刑囚)が言っていることはみなさんにとって耳慣れなくて衝撃的なのでしょうが、同じような意味のことを私は子どもの頃、施設の職員に言われ続けました。
「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)p11より引用
生きているだけでありがたいと思えとか、社会に出ても意味はないとか。
事件は決してひとごとではありません。19歳で地域に出ていなければ、津久井やまゆり園に入所していたかもしれない。殺されていたのは私かもしれないという恐怖が今も私を苦しめます。
朝日のインタビューは男に死刑判決が出る前日に掲載されたもので、事件発生から4年近く経っても当事者である木村さんは恐怖で苦しめられていたのです。
この本によると、この男の死刑が確定したため、家族や弁護士以外との接見が基本的にできなくなり、「社会的には死を迎えて」おり、自ら控訴を取り下げて死刑を確定させたから、執行は「比較的早いだろう」とのことです(P150)。
事件発生から5年の節目(という捉え方は好きでないのですが)を過ぎ、この事件が次に社会的な注目を浴びるのは、この男の死刑執行の時ぐらいであって、それも過ぎればもう、「視聴率に結びつかない」から民放テレビが事件を取り扱うことはないでしょう。
しかし、この男が当事者の心と社会に与えた傷は、ずっと残り続けることでしょう。
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