障害者施設で働いた経験が障害者への理解に結びつかなかった〜やまゆり園障害者殺傷事件より009
この死刑囚が「津久井やまゆり園」に就職したのは2012年12月、「障害者を抹殺できる」などと書いた手紙を衆院議長公邸に届け、園を自主退職に追い込まれるとともに措置入院させられたのは16年2月、事件を起こしたのはその5カ月後の16年7月。この3年7カ月で、どのような心境の変化があったのか。
働き始めた頃は「年収300万、安い」とぼやきながらも「障害者はかわいい」「暴れたら止めるのが大変だけど慣れるとかわいいんだ」と友人たちに言い、また就職で悩む後輩には、「仕事はお金ではなくやりがい」「施設では刺青がある自分にも障害者はキラキラした目で接してくれる。今の仕事は天職だ」などと語っていたという。
「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P64より引用
こういう認識を語った3年半後に障害者大量殺人を行ったわけです。やまゆり園を職場に選ばなければ、事件は起こらなかったでしょう。
個人的にすごく気になったのは、「障害者はかわいい」という捉え方です。強い嫌悪感を催しました。
テレビで元職員は「ここの子たちは」と言っているが、今回の犠牲者の中で十代は一人で、多くが成人であったが、「子」なのである。
「季刊 福祉労働153『相模原・障害者施設殺傷事件〜何が問われているのか』」(現代書館)P57より引用
「障害者はかわいい」という言葉から、発言者を「障害者に理解がある優しい人」と捉える方がおられるかもしれません。
ですが、ぼくはこの言葉には「自分より相手(障害者)の方が下」という意識がにじみ出ていると感じています。
もっぱら「上か下か」「強いか弱いか」という物差しで人間関係をはかる権威主義的思考の持ち主が、「自分は相手より絶対的に上で強い」といった優越感とともに、相手に「情け」をかけてあげられるほどの「心の広さ」がある自分に酔っているーように思えました。
「感動ポルノ」に簡単に飛び付いてラリってハイになってしまう「優しくて立派な常識人」と同じような匂いを感じます。
働き始めた当初、すれ違いざまに入所者に軽い暴力を振るう職員がいた。同僚らに「暴力はよくない」と伝えると、「最初だからそう思うよね」「2、3年後に同じことが言えるか楽しみだな」などと言われた。
「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P83より引用
こう言い放った職員はまだ障害者福祉の現場で働いているのでしょうか。
この死刑囚よりは世渡りが上手そうですので、ぜひとも福祉以外の世知辛くてハードな職種で「実力」を発揮していただきたいものですが …。
そして、ひどい発言をした先の先輩の予言通り、2、3年もしないうちに、障害者への差別的な思考が形成されていきました。
入所者の排せつ処理を介助する際、冷たいタオルでおしりを拭くと「温かいの持ってこい」と言って職員をたたいたり、園内で行う亡くなった入所者のお葬式の途中で突然、「おやつ」と叫んだりする入所者がいた。
同
家族はほとんど面会に来ない。障害者年金をギャンブルに使い、入浴中に溺れた入所者を助けてもお礼を言われなかった。入所者を見捨てているように映った。
検事:実際にやまゆり園で働くようになって、どんなことに驚きましたか?
「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P89〜91より引用
被告:大の大人が裸で走り回っていました。見たことのない景色で驚きました。
検:職員さんについて何か感じたり驚いたりしたことはありますか?
被:少し感覚がずれてしまうのかなと思いました。
検:どんなふうに?
被:人間としては扱えなくなってしまうと思いました。命令口調で、普通の人に話すのとは違っていました。やっぱり人として扱っていないと思いました。
検:2〜3年いてどうでした?
被:人じゃないなと思いました。
下の一問一答は、第8回公判で検察が行った被告人質問でのやり取りです。非常に生々しいです。
やまゆり園は強度行動障害を持つ知的障害者が多い施設だったとのことです。
重度自閉症・中度知的障害がある息子を育てていて、多少なりとも知識と経験があるぼくでも、強度行動障害がある大人がたくさん暮らしている施設に行ったら、強い衝撃を受けて言葉を失うはずです。
あらかじめ専門知識を持っていて、その知識をベースに経験を積み重ねていったプロでなければ、適切な対処は不可能だと思います。
障害者に対する知識がないまま施設で働き、できの良くない先輩と関わるうちに、物事の捉え方が軌道修正される機会がないまま、どんどん歪んでいったのではないでしょうか。
(2015年の)年末の園の忘年会では「利用者を力で押さえつけて恐怖を与えた方が言うことを聞く」と言い出し、その主張を否定した上司と取っ組み合いのけんかになるほどだった。
「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P84より引用
酒の席だったとはいえ、これは「取っ組み合いのけんか」に付き合った上司の方に非があるとぼくは思います。
言葉で相手を納得させることができずに、暴力という同じ土俵に乗っているようでは、彼は何の学びも得られませんし、発展も進化もありません。上司として失格でしょう。
権威主義的思考のこの死刑囚は、自分より「絶対的に下で弱い」と思っていた入所者(家族も含め)が自分を尊敬しないばかりか言うことも聞かないことに腹を立てていたように思えます。
さらに、周囲の先輩や上司のことも「強者」として服従や尊敬するに値しないーという見方をしていたのかもしれません。
「やまゆり園にいる人間は、入所者もスタッフも含め、オレ以外はみんなバカだ」と。
それはおそらく、ケアの仕事につくすべての人が感じている葛藤ではないだろうか。そして被告はその葛藤に、耐えきれなかったのではないだろうか。葛藤しながら向き合うのではなく、いろんなことをすっ飛ばして、最悪の回答を導き出した。
「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P71より引用
おそらく、葛藤から解放された彼自身は「楽」になっただろう。もしかして、それほどに彼の葛藤は深かったのか。いくら考えても疑問符ばかりだ。
雨宮処凛さんの論考です。
「それほどに彼の葛藤は深かった」とは、個人的には思えません。
事件を起こした時の死刑囚の年齢は26歳。50を過ぎたオッサンであるぼくがいま、当時の彼を「軽い」「浅い」「単純だ」「愚かだ」となじるのがフェアでないことは自覚しています。
もちろん、誰に責任があって誰が悪いかといえばこの死刑囚なわけですが、「すれ違いざまに入所者に軽い暴力を振るう先輩職員」よりナイーブだったがゆえに暴走してしまった彼を誰も止めることができなかったことこそが、一番の不幸だったといえるかもしれません。
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