「強者」どころか「リア充」「フツー」の座からも滑り落ち、「弱者」になっていく恐怖〜やまゆり園障害者殺傷事件より008

匿名であるのをいいことに強者になったつもりで弱者を叩くという行為は、ネットの世界でよく見掛ける「ネトウヨしぐさ」とでも呼ぶべき動物的な営みといえますが、この死刑囚からはそういう卑怯な人々と違って、自らの「弱者」性と向き合おうとする律儀さや真面目さが感じられます。

ツイッターを見ても、彼は非常に強がっています。刺青もそうですが、社会的に弱者化していく自分を認めたくないという思いが強くて、その結果、強がりをこじらせて障害者排除という発想に行ってしまったのではないかという気がします。
強がらざるを得ない事情というのは明らかに孤立でしょう。極端なことを言う人には、必ず裏がある。

「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P240より引用

 「措置入院をめぐる誤った見方ー佐賀バスジャック事件を教訓化しなかった誤り」と題した精神科医・斎藤環さんの論考の一部を引用しました。

 この死刑囚の生い立ちとやまゆり園に就職するまでの経緯については、やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P69〜78、相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P58〜76に詳しく書いてあります。

 一部を引用します(以下は前者を「神奈川」、後者を「傍聴記」と表記、死刑囚の氏名は省きます)。

父親は小学校教諭、母親は漫画家。(津久井やまゆり)園から800メートルほど離れた一軒家で、経済的に恵まれた家庭の一人っ子として育った。

神奈川P71

地元の公立中学校に進み、バスケットボール部に所属した。友人らと飲酒や喫煙、万引などを繰り返し、不良少年たちとの付き合いもできた。

神奈川P73

大学2年になると、出会い系サイトを使って女性と会い、クラブに頻繁に出入りするようになり、学業が疎かになっていった。
大学2年生の冬ごろには危険ドラッグに手を出すようになっていた。
大学3年生ごろには両肩や背中に入れ墨を彫った。

神奈川P75~76

高校時代までの被告は空気が読める明るいタイプで、「やんちゃ系」だった友人からは真面目な雰囲気に見えたという。が、大学生になると髪を染め、刺青を入れ、脱法ハーブを吸ったりと「チャラい」方向に変わっていった。…
そして被告とその仲間たちの写真を見ると、見事なまでに「EXILE」風だ。

傍聴記P63

 恵まれた家庭環境で自由奔放に少年時代を送ってきたことが分かります。

 第6回公判では高校時代の交際相手の供述調書が読み上げられ、何不自由ない「リア充」ぶりが伝わってきます(傍聴記P59〜62)。

 この死刑囚の性格について、興味深い記述を見つけました。

裁判所の依頼を受けて精神鑑定に当たった男性医師は、当時(大学時代)の精神状態について「自分より格上の人物を敬い、影響を受けるようになった。快楽的な考えが強まり、その考えに基づいて優先的に行動するようになった。それは就労後も続いた」と法廷で証言した。

神奈川P76〜77

 元不良の「やんちゃ系」「陽キャ」で「格上の人物を敬い、影響を受ける」タイプって、軍隊や体育会系の因習がいまだに残っていてコミュ力重視の「男中心の日本の会社世界」において、最も適応力が高いのではないでしょうか。

 同じようなキャラで人間味も兼ね備えた先輩や上司と出会っていれば、きっとかわいがられたでしょう。

 人との出会いやタイミング、運などが重なれば「社会的に成功」し、この死刑囚が憧れる「強者」「勝ち組」に近づけたかもしれません。

 以下は第1回公判を傍聴した雨宮処凛さんの回想と分析です。

そこに、あの事件を正当化し続けた傲慢さは微塵もなかった。ただただ司法の中枢である裁判所の法廷で、小さくなってかしこまっている男がいた。その姿を見て、思った。
そうだ。被告はおそらく、権威主義なのだ。

傍聴記P29

障害者を殺すことで国の役に立てる、ヒーローになれると思い込んでいた被告は、権力を持つ者に認められたいという思いが異様に強いのだろう。
しかし、「自分より下」「弱い」とみなした者にはどこまでも強気で振る舞う。強い者にはひれ伏し、弱い者にはどこまでも傲慢。そんな被告が法廷でかしこまることは当然なのかもしれない。

 「酔っ払ってコンビニの女性店員にからむ中年のオッサン」みたいなメンタリティの持ち主といえます。

 こういうオッサンは店員が強面でマッチョな男性だったら決してからみません。卑怯者だからです。

 他人との関係性を、自分より「上か下か」「強いか弱いか」という二元論で捉えるタイプの人間は、(根拠の有無を問わず)強者を自認していて自己評価が高ければ、生きていて楽しいでしょう。周囲からはものすごく嫌われているかもしれませんが。

 しかし、強者を自認するほどの図々しさがなくて自己評価も低い権威主義者は「生きづらい」はずです。服従しなければならない「強者」がたくさんいて、見下してバカにすることができる「弱者」の数が少ないわけですから。

 大学卒業後、教員になる目標をあきらめて、トラックで自動販売機に飲料を補充する運送会社に就職し、月給23、24万円を得ていたが、「夜が遅く、体力的に持たない」とわずか8カ月余りで退職した(神奈川P79)。

 (やまゆり園で)働き始めた頃は、「年収300万、安い」とぼやきながらも…「今の仕事は天職だ」などと語っていたという(傍聴記P64)。

 しかし、働いて2年もすると言動が変わり始め、「障害者殺し」を正当化する理屈を話し始めると周囲からどんどん人がいなくなり、措置入院に至る。

彼は、もともとはちょっと思い込みの激しい孤独な青年だったと思いますが、そこに措置入院させたことで精神障害者というレッテルを貼られてしまった。
貧困層の人々が生活保護層を叩くのと同じように、自分が非常に劣位に置かれている、弱者の立場に置かれているからこそ、自分より弱者を叩きたい、排除したいという発想を持ってしまったのだと思います。

「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P234より引用

 冒頭にも引用した、精神科医・斎藤環さんの分析です。

 自らを「弱者である」と認識しているのであれば、同じような境遇の仲間と連帯するなり励まし合うなりして「生きづらさ」を少しでも減らしていこうーと発想を転換できれば別の生き方がひらけたのかもしれません。

 しかしそうは転換できず、自らの作った「上か下か」「強いか弱いか」という物差しに自ら追い込まれていきました。

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