日本スイミングクラブ協会「泳力認定」のチラシがなぜモヤモヤするのか考えていたら、歴史的な炎上CMや「24時間テレビ」「パラリンピック」との共通点が浮かんだ
いまブログで時事ネタを取り上げるのであれば、東京五輪の閉幕や医療崩壊が始まりつつある首都圏のこと、小田急線刺傷事件など重くて暗いテーマがいくつもある中で、今回はそれらと全くリンクしない話を。
日本スイミングクラブ協会「泳力認定」のチラシについてです。
いつもブログを読んでくださっている方から一昨日、「日本スイミングクラブ協会のチラシを見たときに、なんかモヤッとしたんだけど、何にモヤッとしているのかわからない」とのメッセージをいただいたことをきっかけに調べ、思ったことを書いていきます。
スイミングクラブには、ぼくは一度も足を踏み入れたことはありません。
障害児の親であるわれわれ家族にとっては縁遠い世界のような感じがします。
地元NPO法人が企画した障害児向け水泳教室に通ったことはありますが、新型コロナウイルスの感染拡大のせいで今は開催されていないようです。残念です。
いただいたメッセージには、その方が「見てモヤッとした」というチラシが添付されていました。これです。
パッと見ただけでは、少なくない費用をかけてプロに依頼して作ったであろう「センスのいい広告」です。
しかし、ずっと眺めていると…。あっ、確かにモヤモヤする。
これは何だろう。どうやって言語化しよう。
「泳力認定」というワードでGoogle検索すると、似たような広告がたくさん出てきました。
個人的な好みですが、これら一連の広告はあまり好きになれませんでした。「良い・悪い」ではなく、単にセンスの違いです。
「制作側が『センスのいいものを作ろう』と意気込んでいるのは伝わってくるけれど、その意気込みが空回りした結果あまりセンスのいいものに仕上がっていない」感じがするんです、すべてにおいて。「狙いすぎ」というか「くどい」というか。
センスに違和感はあるのですが、別にモヤモヤはしませんでした。
だけど、送っていただいたポスターに対してだけ、確かに、ぼくもモヤモヤしました。
なぜなのか考えてみました。
たぶん、こういうことです。
モデルに女児を使っておきながら、バックから「感性が擦り切れたオッサン」的なものが見え隠れするからです。
「〜欲しいの」って、いかにも「オッサンが考える『女子が使いそうな言い回し』」で締めているところと、冒頭の「ワタシ」をカタカナにしたところが、なんとも「痛い」感じです。
制作した側は気の利いた感じの言い回しをしたつもりなのでしょうが、「しょせん『女子なんてこんなもんだろう』というステロタイプかつ薄っぺらくて傲慢でもある発想」が透けて見えます。
致命的なのは、「女子力」という言葉を使ったことです。
モデルのお子さんはどこからどう見ても100%そのまま「女子」であって、「女子力」なんて商売っ気あふれるいやらしい大人向けの造語をあえて口にする必然性はありません。
「水泳だけでなく、もっと『女の子っぽいこと』に興味を持った方がいい」と言うお節介なママに向けた異議申し立てのセリフーという設定なのかもしれません。
だとしたら、「同性の子どもに女性性を押し付けようとする紋切り型のママ像が描かれていて不快」って反応も、この広告がターゲットにしているであろう層から出てくることも想定されます。
センスが「良い・悪い」という以前に、センスが古いように思えます。
30年以上前、日本がバブル経済に浮かれる直前の空気感をまとっているような感じがあります。
チラシを送ってくださった方への返信をこんなふうに書いていると、「この感覚は何かに似ている」と気付き、「ボク食べる人 CM」というワードを打ち込んでGoogle検索しました。
そうそう、これだわ。「ハウス・シャンメンしょうゆ味」のCM。懐かしい。
炎上CMの歴史をまとめた面白い記事も見つけました。
「現代を思案する正解のないWEBマガジン」と銘打つ「WEZZY(ウェジー)」に文化系ライター・原宿なつきさんが書いた記事「『私作る人・僕食べる人』から45年。なぜ炎上CMはなくならない?」です。
引用します(改行と太字、蛍光マーカーは筆者)。
ファッションや美容業界は、「おしゃれであること・若々しくあること」を女性が切望すればするほど儲かります。
WEZZY「『私作る人・僕食べる人』から45年。なぜ炎上CMはなくならない?」より引用
そのため、女性が、「25歳が女のピーク。それ以降はおばさんだから、ふけないようにしなくちゃ」と焦ったり、「(容姿とは関係ない仕事をしているのに)メイクやファッションをがんばらなきゃ。それも仕事のうちだし」と考えたりしてくれると、とても都合がよいわけです。
「女子力」という造語が生まれた背景(商業的理由)について、うまく説明してあります。
大人の女性を焦らせ、劣等感を植え付けさせて消費行動に走らせるのに便利な造語です。
このような歴史的有名な炎上CMと日本スイミングクラブ協会「泳力認定」のポスターを結び付けるのは、ちょっと気の毒な気もしますが、モデルとなった女児と「女子力」という造語の組み合わたことがきっと、最大の「モヤモヤポイント」なのでしょう。
炎上には至らないけれど、目にした一定数の人々をモヤッとさせる「ヒヤリ・ハット」案件といったところでしょうか。
再び引用します(改行と太字、蛍光マーカーは筆者)。
「広告業界、テレビ業界は男性社会であり、偏った意見になりがち。女性の意見も取り入れれば、女性に受け入れられるCMを作れるはず」……いいえ、そうではないのです。
WEZZY「『私作る人・僕食べる人』から45年。なぜ炎上CMはなくならない?」より引用
前述したように「女性」にも様々な属性の人がいるからです。
男性社会で数少ない女性として働き、意見の通るポジションに昇進している女性の視点が入ったからといって、そのCMがターゲットにしている「女性」を代弁できるとは限りません。
男性社会の価値観を自分に取り込み、内面化している場合もあるでしょう。女性がいれば大丈夫、なんてことはないのです。
この指摘は、とても深いです。
ぼくは、この日本スイミングクラブ協会「泳力認定」のポスターを作ったのがぼくと同世代ぐらいの「若くない男性(オッサン)」だと思い込んでいましたが、男性社会の価値観を内面化した「名誉白人」ならぬ「名誉男性」である可能性も否定できないのですね。
先ほど引用した部分の「男性」を「健常者」、「女性」を「障害者」と置き換えても、そのまま意味が通じます。
「24時間テレビ」や「パラリンピック」に登場する「頑張っている障害者」を「名誉健常者」などと揶揄する意図は全くありませんが、それらに登場する障害者が「障害者のすべてを代弁している」わけではないことは、情報を消費する側である健常者社会に認識していただきたいところです。
24時間テレビとパラリンピックに「モヤッとする」当事者や当事者家族が一定数いるのは、そういう構造ゆえだと思います。
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