重度自閉症児の親としては、社会とトラブルを起こし続ける一部の「撮り鉄」が他人とは思えない

またしても撮り鉄のトラブルが話題になっています。

 今回の現場は神奈川県藤沢市内の江ノ電で、「鉄道ファンらが深夜の試運転列車の撮影で、通りがかりの自転車に乗った男性に罵声を浴びせる動画がツイッターに投稿され、物議を醸している」というものです。

 J-CASTニュースの記事「『チャリ乗ってんな!』『どけ!』『金だろ』撮り鉄が通行人に次々罵声 深夜の江ノ電で何が起きた」に顛末がまとめられています。

 ぼくがたまたま「5ちゃんねる」を眺めている時にこのトラブルのスレッドが立ったばかりで、炎上をリアルタイムに近い形で追っています。

 やはり、いつものように「撮り鉄=発達障害」と結びつけて叩く書き込みが目立っていました。

 撮り鉄が引き起こしたトラブルとしてはこれまで、電車の撮影のために周囲を通行する人を威嚇・罵倒したり、田んぼや畑に入り込んで作物を踏みにじったり、勝手に木を切り倒したり、線路内に発煙筒を投げ込んだりと、かなり非常識な事例も報じられています。

 撮り鉄の中には常識的な方もおられるのでしょうが、こういう炎上騒ぎになると一部の方がムキになって反論し、その反論の仕方の「余裕のなさ」がさらなる批判や揶揄の対象となって、「撮り鉄叩き」が加速されるーというのが毎回のパターンです。

 「発達障害」というワードが登場すると、こんな感じで荒れていきます。

撮り鉄の「迷惑行為」がネット上で炎上

発達障害が背景にあることを誰かが指摘

「発達障害」のワードに撮り鉄の一部が反応し、怒りで感情を爆発させる

「その怒り方・余裕のなさがいかにも発達障害って感じだよね」と揶揄される

撮り鉄の一部、さらに怒る

 こういうパターンのやり取りを繰り返し目にすると、なんともやるせない気持ちになります。

 いわゆる「ネトウヨ」も、炎上した際に煽られると、同じような挙動を取るような傾向がみられます。

 ネトウヨに関しては、匿名性に隠れた卑怯な他者への差別・攻撃(自らの防御=正当防衛という考え方が背景にあるのでしょうけど)が「活動」のメーンで同情する気が全く起きませんし、法に照らし合わせて「やったこと」の責任が問われるべきだと考えます。

 しかし、「撮り鉄」の場合は趣味であって、社会とうまく共存ができていれば、こんなふうに批判されたり、揶揄されたりもしないでいいんですよね。

 「趣味で鉄道写真を撮る」こと自体を批判する人は誰もいないはずです。

 重度自閉症・中度知的障害がある子の親として、息子がなんとか社会でうまくやっていってほしいと日々願いながら療育を行っている者としては、「撮り鉄の方たちに自閉症/発達障害の傾向があるのかどうかは分からないけれど、皆さん方も社会でうまくやっていってほしい」と心の底から思います。

 「発達障害ー自閉症.net」というサイトから引用します。

 息子は昨年、電車に乗るのがマイブームでしたが、現在のマイブームであるサイクリングほどの執着は当時感じませんでした。

 彼が一貫して愛し続けているのはドアとエレベーターです。

 エレベーターに関する記事もありました。

 この二つの記事を読み比べた感想としては、同じ自閉症児(者)でも、エレベーターに執着するより電車や鉄道に執着する方が「知的に高いのではないか」と思いました。

 ネット有名人の決めゼリフとされる「それってあなたの感想ですよね」「そういうデータがあるんですか」を突きつけられたとしても、「ぼくの感想です」「そういうデータはありません」と答えるしかありませんが。

 今はドアとエレベーターに対する執着にとどまっているわが息子もいずれ、電車や鉄道に同じぐらい執着する日が来るかもしれません。

 先に挙げたような、撮り鉄の迷惑行為に対する批判に反論する方はきっと、相対的に「知的に高い」のだと想像しています。

 そして、「オレは知的に高いから相手を論破して自らの主張を押し通せるんだ」という「過剰な自信」ゆえに攻撃的な言動をエスカレートさせていき、それゆえ、さらなる批判と揶揄を浴びて傷口を広げ、社会から孤立を深めていくー。そんな「負のスパイラル」に陥っているように思えてなりません。

 没頭できる趣味があるのは素晴らしいことです。攻撃的な一部の撮り鉄の方々も、社会とうまく共存してほしいと願わずにはいられません。

 このテーマ、コーネリアス小山田氏の「障害者いじめ自慢」問題に匹敵する深さがあると感じております。

 次回に続きます。

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