19年前に出版された「異議あり!『奇跡の詩人』」を読み、一昔前のマスコミが「障害者の感動物語」に対していかにナイーブで騙されやすかったのかを再認識した
FCについて、少し前にこちらで書きました。「ファシリティテッド・コミュニケーション」(Facilitated Communication)の略で、介助者(Facilitator)を経由して行うコミュニケーションのことです。
FCについて知ったのを機に、自閉症の保護者界隈に取り巻く「〜式〜法」「〜療法」「〜メソッド」みたいなものを暇な時にネットで調べるようになりました。
うちは息子がもう9歳半になりましたし、7年もABA(応用行動分析)をやっていると、「通常級に入っていずれ大学に進学ってのは絶対に無理だな」「だけど、10年後には会話っぽい言葉のやり取りが可能ではないか」「精進を重ねていけば、いずれ彼女ができるかもしれない」などなど、この先のことがある程度見えてくるようになります。
天才ではないし奇跡は起きないだろうけど、地道に積み重ねていけば「できること」は少しずつ増えていき、より「生きやすく」なっていくだろう。幸せはこんな日常の延長線上にあるのだ。
とまあ、こんな感じで「枯れた」心境に達していますので、世にたくさんある「〜式〜法」「〜療法」「〜メソッド」についていくら調べても、それらを試してみようとは思いません。
しかし、お子さんに診断名がついたばかりで途方に暮れる親御さんは、ネットに溢れるこの手の情報に心が乱されるでしょう。
親がお金と労力を惜しまずに注ぎ込めばお子さんの障害が「治る」と言われれば、根拠が薄かろうとすがり付きたくなる気持ちは分からないでもないです。
ネットも良し悪しで、息子に診断名を付けたドクターが「ネットは嘘ばかりだから見ない方がいい」とわれわれにアドバイスする気持ちも理解できます。
「異議あり!『奇跡の詩人』」(滝本太郎・石井謙一郎著、同時代社)は、2002年4月28日のNHKスペシャルで放送された「奇跡の詩人」の内容を検証し、さまざまな観点から問題を指摘している本です。
ぼくの手元にある単行本は「2002年6月28日 初版第1刷発行」とあります。
滝本太郎さんはオウム真理教被害対策弁護団におられた弁護士で、石井謙一郎さんは週刊文春記者で統一教会問題の取材経験があるそうです。
放送からちょうど2カ月後に出版するとは、なんと仕事が早い。
読んでみたいなぁと思っていたら、なぜか家にありました。これこそ奇跡。
数年前、妻が地元の「一箱古本市」に参加した際、別の出店者の方と雑談する中で息子の障害について触れたところ、「いい本だから」とプレゼントされたとのことでした。
粋な方がおられるものです。ありがとうございました。
19年前の本ですが、今読んでも素晴らしい内容です。
特に、第3章の「ドーマン法とFCの真実」は、今こそ再び読み返されるべきものです。
加えて、本筋ではないかもしれませんが、この本を読むことで「この19年間で社会は大きく変わったんだなぁ」とあらためて認識する機会にもなりました。
当事者や当事者家族が提示する「障害者の感動物語」に対して、一昔前のマスコミがいかにナイーブで騙されやすかったのか、と。
本から引用します。
…その知性と独特の感性が紡ぎ出す珠玉の言葉を母が読み取り、父が活字にする。文字通り命を削って紡ぎ出す言葉だからこそ、感動を呼ぶ。
「異議あり!『奇跡の詩人』」(滝本太郎・石井謙一郎著、同時代社)P13より
…文章をなりわいとする者として、かつて一度でもそんな言葉を書き得ただろうか。何度も自問させられた。…
2002年4月28日付の某全国紙朝刊のコラムの一部です。
NHKスペシャル「奇跡の詩人」の放映される日の朝、全国各地に配達された新聞に、こういう番組紹介が載っていたわけです。
19年経った今、番組の内容を抜きに、純粋に文章としてこのコラム(の一部)を読んだ方は、どうお感じになるでしょうか?
言葉が躍動しまくっていますね。試しに音読してみましたが、体がかゆくなってきました。
番組を観たライターの脳内から快感物質がドバドバと出て、感動に酔い、感動に酔った自分の脳内を描写する己の筆力にも酔っている印象を受けます。
これ以外の全国紙2紙も、同じような「手放しの大絶賛」コラムを掲載しています。
新聞にまだそれなりの「権威」が残っていて、今ほど「落ち目」になっていなかった時代、放映日の朝に日本の3大紙が揃って絶賛するのですから、番組の宣伝効果としては絶大だったはずです。
3大紙はいずれも、放映後に非常に多くの疑念が寄せられた「奇跡の詩人」の宣伝と権威付けに一役買ったということになります。
ということは、この本にも詳しく書かれている「ドーマン法」の宣伝と権威付けにも間接的にですが加担した形になっています。
「奇跡の詩人」騒動は19年も前のことですが、「両耳の聞こえない天才作曲家」と言われていた佐村河内守さんの騒動は7年前ですので、こちらはまだ覚えている方が多いのではないでしょうか。
ちなみに、この佐村河内さんも、疑惑が発覚する一年前の2013年、NHKスペシャルで「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」と題して紹介されています。
先に引用した、NHKスペシャル「奇跡の詩人」を手放しで持ち上げるコラムですが、佐村河内問題を経た今、新聞記者が同じような番組の紹介を書く機会があったとしても、「こんなに無防備に手放しで持ち上げて大丈夫かなぁ」と迷うはずです。
同じようなトーンの番組紹介の記事が新聞に載ったとしても、読者の側も「また騙されるかもしれない」と身構えることでしょう。
マスコミも国民も、「障害者の感動物語」に対して無防備で騙されやすかったのでしょう。
障害者に対して「素朴な優しさ」があった、とも言えるかもしれません。
いろいろな苦い経験を経て、マスコミは進化したのでしょうし、情報を受け取る側の国民もメディアリテラシーが高まった(=マスコミに騙されにくくなった)のは間違いないでしょう。
「奇跡の詩人」を制作したNHKの番組スタッフもきっと、障害児(者)の生きづらさに寄り添おうという優しい気持ちの持ち主で、マスコミ人として使命感に燃えている立派な方なのだと思います。
視聴者を騙してやろう、ドーマン法の宣伝をして私服を肥やそうーなどという不純な動機はゼロだったと信じています。
しかし、ぼくが読んだ「異議あり!『奇跡の詩人』」によると、番組の放映によって当事者家族が困惑し、振り回され、心を乱され、専門家からの異議が相次いだそうです。
そして、番組を放映した後の、組織としてのNHKの対応が、非常に不誠実かつ傲慢だった。
今マスコミが当時のNHKと同じような「トラブル対応」をしたら、即座に「ネット炎上」し、収拾がつかなくなることは間違いないでしょう。
次回に続きます。
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先日、BSNの取材を受けたわけですが、ものすごくプレッシャーを感じました。偏った内容にならないだろうか、インタビューを受けた人が傷つかないだろうか。幸い?「越冬友の会」で偏った放送をされた経験があり、気を付けるポイントが少しわかっていたので、何とか終える事が出来ました。物凄く負担でした。ましてや天下のNHKです。訳が分からない内にカメラが回り、ディレクターの描く世界のままに放送されたのでしょう。「ちょっと待ってください」とは言えなかったと思います。感動ポルノの被害者になってしまった。本人もそんな事わからないでしょう。だから、マスコミは怖いです(すいません)。怖いと思っているくらいがちょうど良いと思いました。今後も取材を受ける事があると思いますが、慎重でいたいと思っています。
ところで、●さんの知り合い2人にお会いしました。世間は狭いと思いました。
内藤さん、ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
今はSNSが発達しているので、マスコミが報じる内容がおかしかったり、取材を受けた方が意図しない報道のされ方がされても、個人でネット社会に呼び掛けることができますが、一昔前は「泣き寝入り」したケースも多かったでしょう。
とはいえ、今も、マスコミが怖くて、取材対応に多大なプレッシャーがかかることには変わりないと思われます。
知的の場合は当事者家族が対外的な対応をするケースがほとんどでしょうが、精神ですと当事者の方々が直接対応される場合が多いでしょうから、無理はなさらず、マイペースで付き合っていくといいと思います。ご自身の体調が第一です。
障害者を扱う報道が「感動ポルノ」化していくのも問題ですよね。
視聴者が「素朴な善意」からそういう内容のコンテンツを求め、マスコミがそうした需要に合わせた演出を加えて報じることで、内容が障害当事者の思いや実情から離れていってしまうーってのは、きっと当事者界隈の「あるある」なのでしょう。
障害者が奇跡を起こしたり特別な能力を発揮したりして「すごーい!」か、本人も家族も悲惨で暗くて貧しくて惨めで「かわいそー!」かの、どちらかしかないように社会から受け止められているようにも感じます。
こうした両極端な当事者(とその家族)以外が大部分なのに、そうした「強い特徴がない当事者(とその家族)」の存在と日常はきっと、「感動ポルノ」にするほどの刺激がないということで、社会的に、マスコミ的に注目されにくいのかもしれません。
「感動ポルノ」はすごく根深い問題だと思っています。今後ここでも書いていくつもりです。