息子と妻とぼく、みんなそれなりに成長できたような気がする〜「エア父子家庭」を終えて
7日間にわたる「エア父子家庭」生活が終わりました。
妻の手術は成功し、術後も順調のようです。ありがたいことです。
車の運転や荷物の運搬、しゃがんでの草むしりなどがまだ禁止されていて、現時点では日常生活に制限があります。
大好きなビールも今は飲む量をセーブしていますが、半月もすれば以前と同じ日常生活に戻ることができるようです。
残された男2人は、こんな感じで過ごしてきました。
写真=「エア父子家庭」の日常生活=2021年4月13〜19日、新潟県新発田市・村上市
学校から帰ってから家で療育し、サイクリングロードを走り、義父の焼き鳥店のカウンターで晩酌&食事をし、車で無人駅巡りをし、家事をこなしました。
この7日間で意外だったのが、ママが不在でも息子がそれほど崩れなかったことです。トイレの失敗もありませんでした。
また、ママが帰ってきてからは反動からベタベタと甘えまくるかと思いきや、これまた特に変化は見られませんでした。
7日ぶりにママと再開した息子の第一声が「プールに行きたい!」でした。
前日に遊んだウォータースライダーがよほど楽しかったのでしょう。
3人でプールに行きたい!
7日ぶりに会ってこれって、少しさみしいけど、それだけ成長したってことかな。言葉も増えている感じがするし
うん、あまりに淡々としていて、ぼくもビックリした
「ママは病院に行っていて、7日後には帰ってくる」と事前に伝えていたことを理解していたからだと思われます。
「ママがいない」という「変化」を淡々と受け入れ、マイペースで暮らすことができたのは、確かに彼の成長ゆえかもしれません。
妻は、入院中に出た病院食を食べ続け、考えるところがあったそうです。
病院食には加工肉が出なくて、にんじんをよく使っていた。最近はだしの素ばかり使っていたので、これからはちゃんと出汁を取ることにするわ
妻は何年か前に市の栄養教室に通ったのを機に昆布とかつおぶしで出汁を取るようになったのですが、いつの間にかやめていました。
加工肉に関しては、「シャウエッセンが300円台前半だったら絶対に2つ買う」という内規がわが家にはあり、ベーコンやハムを焼いてビールのつまみにすることも結構ありました。
さらに、ぼくは沖縄の家庭料理の「ポーク卵」が好きで、スパムの缶詰を買ってきてはたまに作っていました。
息子も食事中に「わかめご飯の素」の袋に手を突っ込んでお菓子感覚でポリポリ食べていることがあり、確かにわが家は減塩が必要なようです。
入院を機に「息子のためにも長生きしなきゃいけない」という思いを強くしたようです。
どちらかというと妻もぼくも「意識低い系」なのですが、少しちゃんとしようと思い直しました。
ぼくも、この7日間の「エア父子家庭」生活から、いろいろと学ぶことができました。
ここに書いたのは一般論としての(そんなたいそうな内容ではありませんが)「あるある」でしたが、これに「育てている子どもが障害を持っている」という要素がさらに加わるわけです。
妻が約7年続けているABA(応用行動分析)に基づく家庭療育を初めてピンチヒッターとしてやってみて、「モチベーションを保つのが大変だろうな」ということを強く感じました。
年単位、月単位で見れば成長が可視化されるのかもしれませんが、1日単位で見ているだけでは息子の成長がよく分かりません。
「昨日までできていたことができなくなっている」という「退化」も目の当たりにします。
そんな中で、ほんのわずかに見えた成長点をどう伸ばし、退化してしまった部分をどうフォローしていくかを考えながら日々の療育の内容を変えていき、それに合った教材も自作しなきゃいけないのです。
確かにこれでは、プロのセラピストさんから助言を受け、同じ境遇にある仲間たちと励まし合いながらでなければ、心が折れてしまいます。
この1週間の経験から、息子の療育を「前に進める」ことはまだできなくても、「息子のレベルを現状のまま保つ」療育ならぼくにもできそうです。
妻がすごく疲れていたり、どうしても気乗りしなかったりした時には、臨時代理を務めることはできるかもしれない。
三者三様、学びと発見と成長があった「エア父子家庭」生活でした。
しかし、通常の会社勤めが始まると、息子とずっと一緒に過ごした日々が懐かしくて愛おしくなるんですよね。
妻の体調と関係なく、こういう経験が定期的にできる機会があればいいのになと思っています。
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