親であるわれわれが死んだらこの子はどうなってしまうのか問題〜「重度自閉症児と暮らす日常」を記録し続けて思ったこと②
これは考え始めるとキリがありませんし、考えたからといってとびきりの抜本的な解決策が浮かぶわけでもありませんし、それでも何か考えておかなくちゃいけないしで、厄介なテーマです。
妻とぼくが日本人の平均寿命(男81歳、女87歳=小数点以下切り捨て)だけ生きたとすると、いま(2020年9月)8歳9カ月の息子が40歳になった時にぼくがいなくなり、56歳になった時には妻もいなくなります。
あくまで「平均」なのですが、このぐらいの年齢まで生きると想定して人生設計をする必要はあるのでしょう。
加えて、ぼくや妻が急死したらどうするってことも考えておかなきゃいけません。
まだ全く考えていませんが。
しかし、息子が56歳って、今のぼくより年上ですから、想像がつかないし永遠に先のことのような気もします。まあ、どのみちぼくは死んでますが。
先月、新聞で気になる記事を見つけました。
「障害者家庭に安心を 国内初の所得補償保険」というタイトルで日本経済新聞のホームページ(HP)に掲載されています(タイトルを押すと日経の記事に飛びます)。
この保険にご興味がある方はリンク先の記事か、「全国手をつなぐ育成会連合会」HPの「団体保険制度『手をつなぐ暮らしのおたすけプラン』」をお読みください。
日経の記事の一部を引用します(アンダーラインは筆者)。
連合会によると、知的障害者の親からはこれまで「自分たちにもしものことがあったら、子はどうなってしまうのか不安」「障害のある子が働き始めたが、通常の所得補償保険に加入するのは難しい。病気などで離職、休職するリスクはあるので心配」といった声が多数寄せられていた。
日本経済新聞HP「障害者家庭に安心を 国内初の所得補償保険」より
そうですよね、知的障害児(者)の親にとって共通の不安ですよね。
記事によると、「障害者本人らを対象にした所得補償保険は国内初」なのだそうです。
障害者を育てる保護者向けの保険としては、障害者扶養共済制(リンク先は「全国手をつなぐ育成会連合会HP」)という公的な仕組みがすでにあるようです。
これまでは、ABA(応用行動分析)家庭療育や「療育手帳のお得な使い方」みたいなものばかり調べていましたが、そろそろこの辺のことも調べなきゃいけないお年頃なのかもしれません。
お金の問題が一番心配ですが、「どのぐらいお金があれば安心なのか」ということもよく分かりません。
何カ月か前、政府が「老後を安心して過ごすには2000万円の貯蓄が必要」という発表をしたこともありました。
野党のみならず自民・公明両党の支持者からも評判が悪くてすぐに撤回しましたが、これは日本の年金制度が崩壊していることを政府が半ば認めたようなものです。
夫婦の老後に向けて定年までに2000万円貯める算段も付いていないのに、親なき後の息子が安心して暮らせるためには、さらにいくら必要なのか‥。
1億円?10億円? 宝くじが当たるのに期待するしかありません。その前に宝くじを買わなきゃ。
しかしまあ、当たったとしても息子が適切にお金を管理するのは難しいでしょうから、どなたかに管理をお願いしなければならないでしょう。
施設に入所して施設の運営者が管理していただくのが一番いいのかもしれませんが、そうした信頼できる施設に親亡き後に息子が入れるかどうかは分かりません。
お金の管理を他の親族に任せるというのは荷が重いでしょうし、弁護士や司法書士の先生にお願いするとしたら、息子が亡くなるまでの報酬を用意しなきゃいけないでしょうけれどそんなお金はないし、そもそも誰かにだまされてお金を奪われてしまうかもしれないし…。考え始めるとキリがありません。
そう考えると、大切なのは、国の福祉制度がちゃんと一定水準を維持できているかどうかが一番大切だといえます。
そのためには、日本経済が持ちこたえ、国の財政が持ちこたえ、政治が弱者に寛容であってもらわなくてはなりません。
新型コロナウイルスや大規模自然災害、世界同時株安などによる不況や財政赤字増大、政情不安は、障害児の親にとっては「心配のタネ」以外の何物でもありません。
話がずいぶんと拡散してしまいましたが、親亡き後の障害者が穏やかに暮らせるかどうかは国の政治・経済の情勢にかかっている部分も大きいーということを申し上げたかったのです。
「親亡き後の障害者をどう支えていくか」ということを考える際、生きている間に親ができるだけ多くのお金を残すことが「自助」、国の福祉制度による支援が「公助」だとすると、地域社会での助け合いは「共助」ということになるのでしょう。
先に挙げた障害児(者)向けの保険は、金融商品としての性格が強ければ「自助」、非営利の共済事業っぽい内容であれば「共助」という位置付けになるのでしょう。
妻とぼくが、注目というか心の拠り所にしているのは「共助」の部分です。
共助というと大仰で抽象的ですので、「地域で助け合って生きること」と言い換えた方が分かりやすいですね。
いま暮らしている新潟県新発田市は妻の故郷であり、ぼくもとても気に入っている場所です。
われわれ家族はここでずっと暮らしていくつもりです。
障害児、特に知的障害を伴う障害児は、生まれ育った地域でずっと暮らしていく方が多いのではないでしょうか。たぶん息子もそうなるでしょう。
そう考えると、地元の支援学校や支援学級に通っているお子さんたちと保護者の方たちとは、おそらく「一生のお付き合い」になるのだと思います。
「助け合い」ですので、助けていただくだけではなく、できる範囲で「助ける」ことも大事です。
「助ける」という言い方は少しエラそうかもしれませんし、「自分が助けてもらうために他人を助ける」という関係性は功利的だと受け止められる向きもあるかもしれませんが、そういうことではなく、愚痴を言い合ったり苦労を笑い飛ばしたりしながら、お互いのことを少し気に掛けながら、お互いの子どもたちとともに成長していける関係が理想です。
自助には限界はありますし、この国がどんどん「貧しく」なってきている感じもある中、公助=国の福祉制度の水準が維持されていくのかどうか不安も大きいです。
であるからこそ、「いろいろあるだろうけど楽しく頑張ろうね」という仲間を一人でも多く見つけることができればいいなと思っております。
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