ひいおばあちゃんがお別れを言いに来た?

妻のお祖母が先日亡くなりました。98歳ですので、大往生です。

 自宅で転倒して骨折してここ2〜3年は老人ホームと病院を行ったり来たりでしたが、それまでは、妻が息子を連れてほぼ毎週、会いに行っていました。

 ぼくも何度か同行したことがあります。息子は、お祖母さんが出してくれる「じゃがりこ」やオレンジジュース、ヨーグルトなどを飲んで食べて、とてもご機嫌でした。

ひいおばあちゃんと向き合う息子
写真=「おばあちゃん」と向き合う息子。息子は当時4歳ちょうど。「じゃがりこ」を食べながら、生意気にも足を組んでいます=2015年12月、新潟県新発田市

 妻は、お祖母さんの昔話を時間が許す限り聞いていました。

 いわゆる「傾聴ボランティア」といった感じでは全くなく、妻が時系列に細かく質問していって、お祖母さんが記憶を辿って答えるといった、ロングインタビューみたいな形式でした。

 妻から少し聞いたことがありますが、劇画の原作になりそうな、波乱万丈の人生だったようです。

 お祖母さんの前でABA(応用行動分析)による療育を実演するのも恒例だったようで、そんな姿をいつも満面の笑みで眺めていたとのことです。穏やかで優しくてオシャレな女性でした。

 一番最後に会ったのは、息子とぼくは3年前ぐらい。1年半前に家族3人で老人ホームへお見舞いに行ったのですが、新型コロナウイルス対策で子どもは施設内に入ることができず、この時に面会できたのは妻だけでした。

 その後は、「少し状態が落ち着いて老人ホームに戻った」「最近は病院に移った」といった近況を半年に1回ぐらい妻から聞くぐらいでした。

 そんな中、息子が最近、「おばあちゃん」と唐突に言い出したのです。

 息子は、ぼくの母親のことは「ババ」と呼んでおり、「おばあちゃん」という呼称は妻の祖母にしか使いません。

 わが家でお祖母さんのことが話題になるのは、かなり久しぶりでした。

 「おばあちゃんの体調が安定して、コロナが落ち着いたら、息子と会わせたいね」と妻と言い合い、息子にも「おばあちゃんに会いに行こうね」と話した2日後に届いた訃報でした。

 妻とぼくは、いわゆる霊感は全くなく、スピリチュアルなものに対する興味・関心はまるでありません。

 息子も感受性がそれほど鋭いようには見えません。

 よく言えば、情緒が安定していて「分かりやすい」「育てやすい」タイプだと思います。

家でねんねしている時、お布団の部屋におばあちゃんが来た?

来た!

おばあちゃん、なにかしゃべっていた?

しゃべっていた〜!

どんなことをしゃべったの?

分からない!

 本人に聞いてもこんな感じで要領を得ませんし、当てにもならない感じです。

 ただ、質問の仕方をいろいろと変えても、「おばあちゃんが来た」という主張だけは変わりませんでした。

 通夜と葬儀では、騒いだり大声を出したりすることはなく、立派なものでした。

 出棺前の最後のお別れの時には、「いままでありがとう さようなら」と記した手紙を枕元で読み上げ、毎週会いに行っていた頃の写真数枚と「じゃがりこ」とともに、棺に納めました。

 彼は、「人の死」についてまだ理解できておらず、「おばあちゃんが死んで燃やされて骨になってしまった」ということを悲しんているふうはありません。

 ただ、「小さい頃におばあちゃんと一緒にいて楽しかった」ということは、記憶は残っているようです。

 彼は「おばあちゃんとまた会える」と思っているのかもしれません。そして、本当に会えるのかもしれません。

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