職員時代に死刑囚Uの目に映った障害者施設「やまゆり園」〜相模原障害者殺傷事件015
死刑囚Uはやまゆり園で働き始めた当初、友人に「障害者はかわいい」「仕事はお金ではなくやりがい」などと周囲に言っていたといいます。
Uが非常勤職員として働き始めるのが2012年12月、常勤職員としての採用が13年ですので、その頃の発言だと思われます。
しかし、働き始めて2年もする頃から言動は徐々に変化していく。印象的だったのは、U被告がしきりに障害者を「かわいそう」と言い始めることだ。
「相模原事件裁判傍聴記〜『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(雨宮処凛著、太田出版)P64より引用
「障害者はかわいそう。食べているご飯もドロドロでひどくて、人間扱いされていない」「車椅子に縛り付けられていて、拷問だ」「重度障害者はかわいそう。親もかわいそう」
この発言は、「働き始めて2年」ですので、15年ごろのようです。
そして翌16年の2月、犯行計画を書いた手紙を衆院議長公邸に持っていく前後、元カノにLINEでこんなメッセージを送っています。
重度障害者は生きている意味がない。面会に来る家族の疲れ切った顔。税金はかかるし家族は疲れさせるし、不幸にすることしかできない。
同P67より
彼らは必要なのか。安楽死させる世の中にすべきでは。抹殺すべき
やまゆり園は、「知的障害の中でも特に対応が難しい『強度行動障害』がある人が多い施設」(同P200)だったそうです。
職員だったUはそんな重度障害者と接する中で、「かわいい」から「かわいそう」、さらに「抹殺すべき」に見方を変えていったわけです。
20代前半だった青年Uは「やまゆり園」の中で、何を見たのか。
「大の大人が裸で走り回っていて。入浴ですが。なかなか見たことのない景色だったので驚きました。自分で排せつできない人がこんなにいるんだなと」。
「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班、幻冬社)P81〜83より引用
入所者の家族の印象については「入所している人は気楽だが、短期の人は重苦しい雰囲気だと思いました」と説明した。
家族はほとんど面会に来ない。障害者年金をギャンブルに使い、Uが入浴時に溺れた入所者を助けてもお礼を言われなかった。入所者を見捨てているように映った。
「(職員の)口調が命令的。流動食はただ流し込むだけの作業でした。人間ではないと思いました」
第9回公判(20年1月27日)でのやり取りを基に書かれた記事です。
「障害者年金をギャンブルに使い…」の部分は、入所者家族が自ら吹聴する可能性はすごく低いでしょうから、伝聞なのだと思われます。
「入浴時に溺れた入所者を助けてもお礼を言われなかった」という経験は、かなりモヤモヤしたことでしょう。
Uとしては、「命を救ってあげたのに、うれしくないのか」「『溺れて死んでしまった方がよかった』とでも思っているのか」と捉えたかもしれません。
その入所者家族は「職員なんだから当然のことをしたまでで、お礼を言う必要はない」という考えだったのかもしれませんし、単にUに好感を持っていなくて話したくなかったのかもしれません。
いずれにせよ、「私生活ではあまり付き合いたくないタイプの人」って感じがしますし、この点ではUに少し同情しています。
ただ、社会人として働いていると、そうした「私生活ではあまり付き合いたくないタイプの人」とは、しばしば出くわします。そういうものです。
気の合う同僚や仲間と会話することで気持ちを整理して忘れてしまうのが一番いいのですが、そうしたやり取りができる人が周囲にいなかったのかもしれません。
そして、20代前半で社会人経験が浅かったUはこの経験から、「入所者家族はみんな、入所者の生死に関心がない」と、考えを一般化して飛躍させてしまった可能性も考えられます。
Uが「やまゆり園」で働き始めた頃の「かわいい」にしろ、「かわいそうに」しろ、底が浅くて短絡的で、非常に情緒的です。
社会福祉の文献に当たって勉強したり、上司や同僚と会話することで認識を深めたりといった知的な側面がほとんどみられません。
軽くて情緒的で「振れ幅が大きい」ところが「今っぽい」と言えば、そうなのかもしれません。
いかにも「アラフィフのオッサンの愚痴」みたいに感じになってしまいました。
気分を害される方がおられるかもしれませんので、先にお詫びいたします。すみません。
「かわいい」から「かわいそう」、そこから「抹殺する」に突き進むさまはさながら、恋愛感情を一方的に募らせてどんどん妄想を強めていって凶行に走るストーカー犯罪者のようでもあります。
被告人は、障害者を施設に入れて面会に来ない家族もいると言っていましたが、中には身寄りのない方だっていますし、体調の関係で面会に来たくても来られない家族もいます。
「元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(西角純志著、明石書店)P220より引用
誰でも、高齢になれば、体に不具合は出てくるかもしれないし、認知機能が衰えたり会話が難しくなるかもしれない。事故に遭ったり病気になることだってあるかもしれない。
誰だっていつ障害者になるかもしれないのです。
第14回公判での被害者家族([甲Sさん=43歳男性]の姉)の代理人弁護士による意見陳述です。
公判でのやり取りでは、Uは入所者家族と「数十回話したことがある」という証言をしていました。
しかし彼は、入所者家族との会話によって「目の前で起こっていること」への認識を深めることができず、意見陳述でご遺族が指摘するような想像力を働かせることはできなかったようです。
先に挙げた第9回公判でUは、「園では日常的に暴力的な行為があった」といった趣旨の発言もしましたが、園側が後に会見で「事実と異なる」と否定したそうです。
この会見の詳細が分からないので断定的なことは言えませんが、少なくとも、園側は「暴力行為はなかった」と組織防衛に走るより先に、「園内で『暴力行為が行われている』と感じながら働いていた元職員がいたことをどう思うか」という問いにこそ答えるべきだったでしょう。
また、専門的な知識も資格もなく採用した若者Uにどういう職場教育を行なってきたのかーという部分についても情報開示すべきだと思います。
この点については、別の場で詳しく触れます。
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