妻がいなくなった瞬間に人生が詰んでしまう~なぜ社労士になろうと思ったのか②
「アムステルダムの朝は早い」なんてコピーを使ったインスタントコーヒーのテレビCMが昔ありましたが、どこの国だろうと都市だろうと朝は早いわけで、これは今で言うところの「進次郎構文」(小泉進次郎さんがいかにも使いそうな言い回し)の「走り」だったという位置づけになるかもしれません。
「アムステルダムの朝は早い」に匹敵する「当たり前のことだから言われなくて分かっているわ!😤」ってのに、「障害児の親にリタイヤはない」があります。ええ、ぼくは死ぬまで息子の面倒をみますし、死ぬまで働きますし、死ぬまで生きますよ。
高年齢者雇用確保法により、日本では希望すれば65歳まで会社に勤めることができ、企業には70歳までの雇用が努力義務として課されています(分かりやすさを優先して、あえてざっくりと書きました。久々に大原の労一テキストを開いたわ)。年金の支給が原則65歳から(これまたざっくり)であるのに合わせている形で、年金の支給年齢が70歳からとかに繰り上がれば、雇用を巡る制度も連動して改正され、「70歳まで会社で働くことが当たり前」の時代が遠からず来ることは間違いないでしょう。
ぼくはもう、制度を先取りしてその覚悟はできています。元気な中高年の皆さん、一緒に死ぬまで働きましょう!
とまあ、息子に障害名が付いた10年前に覚悟はできていたのですが、具体的にどうやって働き続けるかという部分は全くのノーアイデアでありました。
今いるところはほんとに「いい会社」だと思いますし、これまでの恩義も非常に感じているところではありますが、業界としては全く先が見えなくて氷河期の恐竜のようですし、それに伴って人心が荒れてくるかもしれませんし、いくら「いい会社」でもねぇ、65歳になっても70歳になっても同じような顔触れで同じオフィスで、って、ねぇ~、さすがに…ねぇ~😥(以下自粛
そして、前述のように、5年前に「尻に火がつき」ました。さてどうするか。
ぼくが勤める会社は県庁所在地の政令市にあります。この政令市で暮らせば通勤はラクなのですが、息子の将来を考え、妻が生まれ育ったこのまちに居を構え、ちょっと距離はありますがここから会社に通うことにしました。通勤の利便性より、会社を離れた後の人生を見据えた選択でした。
会社を離れてこのまちで働くとして、ぼくに何ができるのか。今さら会社に雇っていただくというトシでもないし、そうなると個人事業主、起業か。
ただ、起業が生半可なものではなく、会社員がいかに気楽かということは、個人事業主が多い妻の親族と接して肌で感じていました。
最初に考えたのが、「今やっている仕事をフリーランスでやること」でした。これは、20年余に及ぶ経験が生かされるわけですから、うまくいきさえすれば一番穏便な形です。
ただ、業界全体が極めて厳しい状況に置かれていて、日本の、世界の巨大企業が知恵を絞ってマネタイズの手法を模索しても確立できないものが、一個人で挑んでみたところで勝算はまるでないことは、すぐに分かりました。しかも、大都市圏ならともかく地方だし、ニッチな分野を狙うにしても難しいだろうと判断しました。
会社を辞めて東京でフリーランスになったり起業したりした同業他社の名だたる先輩たちもいました。しかし、もともと経営やコスト感覚などに欠けているとも思われ、まるで明治維新直後の「士族の商法」のようにも見えました。
これはヤバい。ぼくが業界で培ったささやかなスキルは、どこにも生かす場所はないのか…。
公私ともども大変お世話になっている元市幹部の方にそんな愚痴をこぼすと、「今の仕事関係でなく、地域で障害者を支援するような仕事をしてみたら」というアドバイスをいただきました。
その手があったか。ただ、その分野だと全くの素人なので一からいろんなことを積み上げなきゃいけないし、どういう職種が向いていて今の自分にも可能なのか、想像もつきませんでした。
妻とぼくの役割分担ははっきりしていて、ぼくは世帯収入の9割以上を得て、妻は息子の療育をすべて手掛け、空いた時間にパートに出るという形で進んできました。金銭的にはぼく一人で支えている形でもあり、妻はぼくより10歳も年下です。
先にこの世を去るのは間違いなくぼくの方で、息子と妻の2人で生きていく期間が10年20年単位で続いていくことを想定していました。
ぼくに生命保険をかけ、障害者である息子への福祉的な金銭支援、妻が得る年金+パート勤務で何とかなると考えていました。住宅ローンの支払いが残っているうちにぼくが死んでも、団信でチャラになるし、などなど。
しかし。可能性としてはかなり低いけれど、妻に先立たれたらどうなるのか?
ぼくが働くことができるのは、妻が息子の療育を含め子育て全般を担っているからであって、妻がいなくなったら会社は辞めなきゃいけない。療育のやり方が分からないし、居を構えたのは妻の生まれ育ったまちで、ぼく自身が築いてきた地元の人間関係は極めて範囲が狭い。生命保険もかけていないので、いろんな不具合を「カネで解決」することもできないが、だからといって、これから妻に生命保険をかければいいというものでもない…。
妻に先立たれた瞬間に、ぼくの人生が詰んでしまうことがはっきり分かりました。これじゃあ絵に描いたような全裸中年男性ではないか(絵は自粛)。オレかわいそう😭
しかしまあ、ぼくだけでなく、このままでは息子の人生も詰んでしまいそうです。大事なのは、ぼくの健康より妻の健康。
では、地元でできる障害者福祉系の仕事は何か、その仕事に就くためにいま何をやらなきゃいけないのか。心理的に追い込まれていきました(③に続く)。
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