「優生保護法はなくなったが、命を選別する法律はいつでも復活しうる」という当事者の恐怖心〜やまゆり園障害者殺傷事件より010

「優生思想について考える 〜障害当事者目線から〜」と題したオンライン(Zoom)のシンポジウムに参加しました。主催はNPO法人・新潟市精神障害者自助グループ「ココカラ」で、理事長の内藤さんからお誘いいただきました。

 以前も、被害者の父親でやまゆり園家族会前会長の尾野剛志さんを招いて新潟市中央区で開かれた「津久井やまゆり園障害者殺傷事件を考え続ける学習会」にお声掛けいただき、その時のことはこちらに書きました。

シンポジウム「優生思想について考える 〜障害当事者目線から〜」のチラシ
写真=シンポジウム「優生思想について考える 〜障害当事者目線から〜」のチラシ

 シンポジウムのパネリストは、映画監督で作家の森達也さん、「きょうされん」専務理事で日本障害者協議会の藤井克徳さん、「ココカラ」理事長の内藤織恵さん、ファシリテーターが佐渡で「巣立ちっ子診療所」を開業する医師で長年障害者運動に携わってきた黛正さんでした(肩書きはシンポのチラシから)。

 黛さんは先月の学習会でも司会を務めおられました。森さん、藤井さんはそれぞれの世界で著名な方で、相模原事件を扱った本にもよく登場しています。

 森さんの「U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面」(講談社現代新書)は、ぼくが最初に読んだ事件関連の本です。手元の本には「2020年12月に第一刷発行」とあります。

 出版された当時、新聞かネットの書評を読んで「これは絶対に読まなきゃ」と思ってすぐに買い、通勤用カバンに入れて常に持ち歩いていたのですが、実際に手に取ったのはことし9月でした。

 シンポでもおっしゃっていましたが、森さんはメディア関係者にしては「反応が鈍い(遅い)」そうで、森さんがこの死刑囚Uと面会したのは横浜地裁が判決を出す直前だったとのことでした。

 「反応が遅い」森さんの著書を、事件発生から丸5年を過ぎた「さらに遅い」タイミングでようやく読み始め、世間的にほとんど話題になっていないこの時期にブログに書くという行為もきっと、何か意味のあることではないか。そんなふうにも思いました。

 シンポで藤井さんは、「優生保護法は終わったけれど優生保護法問題は終わっていない」として、ナチスドイツが精神障害者や身体障害者に行った強制的な安楽死政策「T4作戦」と、そうした思想から影響を受けて誕生した日本の優生保護法の制定から現在まで続く問題などを語っていました。

 森さんは、相模原事件の訴訟とNHKの番組でノルウェーの刑務所を取材した様子を紹介しながら、「人というものをどう見るか」という点で日本が遅れていることを指摘していました。

 また、新型コロナウイルスが国内で広がり始めた頃の感染者差別、東京電力福島第一原発事故の後にあった福島に対する差別を挙げ、神道の「ケガレ」意識との関連について言及していました。

 内藤さんは、メンタリストDaiGo氏の「ホームレスの命はどうでもいい」「生活保護の人たちに食わせる金があったら、猫を救ってほしいと思う」という発言から問題提起をしていました。

 このメンタリストDaiGo氏の発言はぼくもずっと引っ掛かっていて、このブログで書こうと思っていたタイミングでコロナにかかって先延ばしになっていました。

 いずれきっちりまとめようと思いますが、短く要約すると、このネット社会においては、あえて物議を醸しそうな暴言を吐くことによって注目を集めることで動画やサイトの閲覧数を増やし、カネを儲けるというビジネスモデルが確立されていることを認識しておく必要があります。

 そして、メンタリストDaiGo氏はそういう界隈における「成功者」であって、彼を成功者と崇めて似たような手法でのビジネスを目指す人々は、「ホームレスの命はどうでもいい」「生活保護の人たちに食わせる金があったら、猫を救ってほしいと思う」という差別的言説が「倫理的に妥当かどうか」などということは気にしていないはずなのです。

 差別の仕方を「儲かるか・儲からないか」の二つに分類して、「儲かる差別」を繰り出し続ける「プロの差別主義者」はネットでよく見掛けます。

 今回の発言をしたことによるメンタリストDaiGo氏の「金銭的な収支」の変化は分かりません。テレビや新聞で批判的に取り上げられたため、マイナスだったかもしれませんが。

 内藤さんは「優生思想は、人々が納得しやすく、力の強い人が利用しやすい考え方だ」という見方を示した上で、「優生保護法はなくなったが、命の選別をする法律はいつでも復活しうる」と危機感を訴えました。

 藤井さんも指摘していましたが、ネットでは相模原事件の死刑囚を賛美する声がまだあります。

貧困層の人々が生活保護層を叩くのと同じように、自分が非常に劣位に置かれている、弱者の立場に置かれているからこそ、自分より弱者を叩きたい、排除したいという発想を持ってしまったのだと思います。

「開けられたパンドラの箱〜やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊「創」編集部編、創出版)P234より引用

 以前も引用した、精神科医・斎藤環さんによるこの死刑囚の分析です。

 ネットでこの死刑囚を賛美している人の中には、同じような境遇に置かれた「生きにくい人々」が一定数いるのでしょう。「肉屋を支持する豚」というネット用語が浮かびます。

写真=いきなり乱入してきてシンポのパネリストにあいさつする息子。もちろん、音声はミュートにしていました=2021年11月

 「『障害は個性』と発言した健常者がいて、私は『嘘つけ』と思った」という内藤さんの問い掛けに対し、森さんが「『キレイゴトを言って馬鹿野郎』と思うけど、『でもキレイゴトも大事なんだろうな』とウダウダ考えるだろうな」と答えたのも、すごく印象に残りました。

 「感動ポルノ」や「24時間テレビ」に対する当事者や当事者家族の受け止めって、まさにこんな感じだろうなと。ぼくも同じように答えると思います。

 言葉にすると「なんかズレているけど、こちらを好意的に見てくれているようだし、攻撃は決してしてこなそうだから、まあいいや。ありがとうございます」という感じでしょうか。当事者の親をやっていると、こういう気持ちになることがよくあります。

 しかし、そういうタイプの方とは、じっくりとコミュニケーションを重ねれば分かり合えるような気もします。甘いかもしれませんが。

 シンポの質疑応答では、藤井さんが「なるべく自分と違う人と折り合いをつける努力が重要だ」とおっしゃっていました。

 障害者が身近にいない健常者にとっては「自分と違う人」イコール当事者なのでしょうし、当事者や当事者家族にとっては「多数派の世界に生きる多数派の人々」のことなのでしょう。 

 非常に「学び」「気付き」の多いシンポジウムで、心に残ったことを全て挙げていくとかなりの長さになってしまいますので、今後ここで相模原事件のことを書いていく中でまた触れていこうと思います。

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