このサイトを立ち上げた2019年8月時点で、息子は7歳8カ月です。誕生から「あれ、この子はちょっと変わっているぞ」と気づき始めた頃、自閉症の診断を受けて家庭で療育を始め、幼稚園への入園・卒園、小学校(特別支援学級)への入学ーといろいろありました。
ここでは、サイトのメンテナンス担当である夫が、少し客観的な目で息子のゆっくりとした成長の歩みを振り返ってみます。個別のことはサイト主宰者である妻がブログ部分に順次補足していくと思います。
当たり前のことではありますが、同じ「自閉症」という診断名が付いていても、障害の程度やその子の性質によって、成長の仕方や困りごとの種類は大きく異なります。
うちの場合はこんなでした。何かしらの参考や気休めになれば幸いです(*1)。
(*1)サイトを始めてから2年近くが経過したため、ここまで9年半の成長について「言語」「情緒・感情」「運動」の分野別に簡単にまとめたものも作りました(2021.07.03追記)。
■目次 (押すとページ先頭に飛びます)
- 頑丈な男の子誕生 0歳 (2011年12月〜12年11月)
- ん?何かほかの子と違う 1歳 (2012年12月〜13年11月)
- 診断→療育開始 2歳 (2013年12月〜14年11月)
- 引っ越し、入園、写真カード 3歳 (2014年12月〜15年11月)
- 療育手帳を取得、どんどんたくましく 4歳 (2015年12月〜16年11月)
- 支援級への就学に向けた準備 5歳 (2016年12月〜17年11月)
- 頑丈な自閉症児、なんと小学生に 6歳 (2017年12月〜18年11月)
- ものすご〜くスローではあるが前進 7歳 (2018年12月〜19年8月)
■頑丈な男の子誕生 0歳 (2011年12月〜12年11月)
出生時の体重は3722グラム。健康的な赤ちゃんでした。思えば息子は一貫して健康で、高熱を出して寝込んだのはこの7年半ほどで3〜4回しかありませんでした。
とにかく頑丈で、例えるなら、アラブのゲリラが乗り回すトヨタのトラックみたいな感じです。悪路を気にせずエンジン音も高らかに砂埃を舞い上げて突き進むイメージでしょうか。親としては、非常にありがたいことです。
生後4カ月で新潟県小千谷市に異動となり、家族3人で会社事務所兼社宅に引っ越しました。ハイハイやつかまり立ちを始めた時期は標準的だったと思います。妻は、仲間づくりも兼ねて小千谷市内の自然派育児サークルで活動を始めました。
この頃、自閉症を思わせる特徴的なものはみられなかったと記憶しています。人見知りせず誰にもよく笑いかけるので、近所の元政治家の方から「愛想のいい坊ちゃんだ。将来は政治家になるといいよ」と言われるほどでした。
■ん?何かほかの子と違う 1歳 (2012年12月〜13年11月)
児童センターなどで一緒になる子どもたちと比べて「少し違うなぁ」と気付き始め、妻が「育てにくさ」を強く感じるようになった時期です。
1歳半検診で担当してくださった小千谷市の保健師さんに妻がそうした悩みを相談し、2歳になった時に保健所での診断を勧められ、2歳1カ月で自閉症の診断がなされました。
ハイハイのスピードが異様に早く、大量のボールを階段から落とす遊びが大好きで、階段の上り下りも上手でした。ぼくも妻も運動神経は良くないのですが、「この子はスポーツをさせると伸びるかな」と思った時期でした。今思えば、自閉症っぽい特徴は、この頃に全て出ていました。
- 靴を履いて屋外で歩けない。「靴を履いて屋内」「裸足で屋外」なら歩けるのに…
- 大人の集団は平気だが、子どもの集団を見ると泣き叫んで逃げる
- 公園や児童センターの遊具より自動ドアにご執心
- 同じ場所に3分と居られない
- ゴミ箱を何度も何度も何度も回す
- 用水路にかかっている網(グレーチング)の隙間から葉っぱを投げ入れ、ずっと観察している
- 人と目を合わせないが、ヤギとはじっと見つめ合う
- 極端な偏食で、白米とパン、バナナしか口にしない
- 発語がゼロ
保健師さんはいろんな子どもをみてきているわけですので、こんな特徴を知れば「自閉症の疑いがある」とすぐに気付いたと思います。
しかし、それをどのように保護者に伝え、専門機関につなげるかというのが、非常にデリケートな作業であることは容易に想像がつきます。「うちの子は障害児じゃないわよ!」と逆ギレする保護者もいるかもしれません。
親身になって妻の話を聞いてくれ、早い段階で専門機関に橋渡ししてくださった小千谷市の保健師さんには今も感謝しております。診断が早い時期であれば、療育を始める時期も早くなりますので。
しかし、心を通い合わせている(ように見える)相手が人間でも犬でも猫でも牛(小千谷は「牛の角突き」の文化があり、身近な動物なのです)でもなく、ヤギだったのはなぜか? 一定レベルの会話ができるようになったら聞いてみようと思います。聞かれても答えようがないか。
■診断→療育開始 2歳 (2013年12月〜14年11月)
2歳1カ月の時、新潟県長岡保健所で自閉症の診断がなされました。2歳になっても発語がない段階で、ネットで調べた知識から「自閉症かも」とは思っていましたが、医師から診断名を伝えられると、少なからずショックを受けました。
ただ、「ホッとした」という気持ちもありました。「よく分からないけど、育てにくくて大変」という状態から、診断名がついたことで、育てにくい原因がはっきりするとともに、その障害に対する有効な対処法もちゃんと蓄積されて用意されているわけですので。
診断したドクターがたまたま長岡療育園の園長先生で、「オレのところに来ればいいさ」と、気さくに声を掛けてくださったのがありがたかったです。ここでの出会いから、就学前まで長岡療育園に定期的に通い、OT(作業療法)を受けることになりました。
診断から2カ月後、ネットで「つみきの会」を見つけ、入会しました。ABA(応用行動分析)を使って家庭で早期療育を行う保護者と療育関係者のグループです。
これまた運命的な出会いであり、会との関わりはずっと続くと思います。療育に関しては妻が一手に行なっております(その代わりにぼくは家事をやります)ので、数多くのエピソードはブログ部分に妻が順次書いていくはずです。
わが息子は「つみきの会」新潟支部始まって以来の「問題児」だったようです。ABA用語を使うと「コンプライアンスが築かれていない」、要は「頑固なまでに言うことを聞かない子」だったのです。
偏食は相変わらずで、外出する際は弁当に白米を詰めて持ち歩いていました。それでも、少しずつではありますが、以下のように食べ物のバリエーションが増えてきました。
「アンパンマンの野菜スティックパン」「かにぱん」「かっぱえびせん」「ヨーグルト」「メンチカツ」「鮭プッチン(鮭フレークとシシャモの卵の瓶詰め)」
この中で特筆すべきは鮭プッチンです。白米に少しでも何かがかかっていると食べなかったのですが、これをかけて食べるようになったことで、「鮭フレーク」「ふりかけ」「納豆」と食事の幅を広げることができました。
遊びでは、公園の遊具への興味はまだ薄かったのですが、海での水遊びや雪遊びなど、野外を駆け回るのは好きでした。そして、相変わらず病気も怪我もほとんどしませんでした。
■引っ越し、入園、写真カード 3歳 (2014年12月〜15年11月)
転勤に伴い、妻の実家があり現在も暮らす新潟県新発田市に転居し、4月に新発田市の障害児向け支援センター「ひまわり学園」に入園しました。
ひまわり学園での3年間とABAによる家庭療育、後ほど通うことになるミュージックセラピーによって、息子は飛躍的に成長することができました。
障害を持たない健常児が1カ月でできることを1年かけてできるようになるというペースではありますが、ほんの少しでもできることが増えていくのは、親としてはうれしいものです。
幼稚園の先生方やスタッフのご尽力もあり、息子が「幼稚園に行きたくない」とぐずることは一度もありませんでした。絵カードや手作りの写真カードを使うようになりました。
カードを並べて、「車に乗る」「スーパーで買い物する」「ご飯を食べる」「お風呂に入る」「寝る」などと順番に説明していくと、見通しが分かって落ち着きます。
ただ、ここは自閉症らしい特性なのですが、いつも通りの生活パターンなら難なくこなすのですが、少しでも変化があると混乱してしまうことがあります。これも、コツをつかめば、混乱を最小限にとどめることができるようになりました。
■療育手帳を取得、どんどんたくましく 4歳 (2015年12月〜16年11月)
4歳1カ月の時に療育手帳を申請し、取得しました。これにより、息子が障害を持っていることを行政に認めていただくとともに、必要な支援を受ける資格も得られたことになりました。
申請をためらう保護者の方もおられると聞きますが、取得した方がいいです。所得税が少し減免されますし、公共施設の入館料や公共交通の運賃などが割引になります。本当にありがたいことです。
休日は海、山、川に連れて行き、思い切り体を動かして午後7時にはぐっすり寝るーという非常に健康的な生活サイクルが確立し、見た目にもどんどんたくましくなっていきました。
小千谷市に住んでいた頃に参加していた育児サークル「木のこん」で過ごした経験から、外遊び好きな子になったのだと思います。
ようやく公園の遊具にも興味を持ち始め、ブランコや滑り台、アスレチックを使うようになりました。先に子どもが遊んでいると遠巻きに眺めるだけで近寄らないことも多かったですが、同年代の子どもにも慣れてきました。「人見知り」の傾向が薄れていったことで、子育ても少しづつ楽になってきました。
カードや写真をずらりと並べ、レゴブロックを高く積み上げるなど、「いかにも自閉症」という特徴的な行動が急に出てきたのもこの時期です。
「並べる」「積み重ねる」行動への執着は半年ぐらいで突然消えましたが、「ホントに不思議な障害なんだなぁ」としみじみと思ったものです。
発語の点では成長があまりみられず、「この子は一生何も喋らないのかもしれない」と焦り始めました。
ただ、ぼくや妻をはじめとした大人がやることを模倣するようになり、植物の水やり、ジャーからご飯をよそう、スコップで除雪する、などの作業を好んで行うようになりました。これはいい兆候です。
同世代の子どもには相変わらず無関心なのですが、「コミュニケーションが取れない分、せめて身だしなみはしっかりさせよう」と思い立ち、服装や髪型をきちんと整え、ハンカチとティッシュを常に持たせ、人前で鼻をほじらないようにしつけました。
■支援級への就学に向けた準備 5歳 (2016年12月〜17年11月)
発達障害児の保護者にとって、就学1年前のこの時期は特別な意味を持ちます。小学校の特別支援学級を選ぶか、特別支援学校に入学するか、大きな選択を迫られるのです。「支援級か支援校か」というテーマは、これまでもこれからも保護者の大きな関心事であり続けるでしょうし、保護者の数だけ持論があると思われます。
もちろん、「どちらがいいか」というものはありません。「現在(当時)あるいは数年後のわが子にとって、どちらが適した教育環境か」を見極める作業です。
わが家では、「トイレトレーニングが間に合えば(自力で用を足せるようになったら)支援級、間に合わなければ支援校」という大方針を妻が打ち立て、ABA(応用行動分析)による療育を繰り返した結果、何とか間に合い、支援級に就学することにしました。
いずれ妻が書くと思いますが、最初のトイレトレーニングでは、1時間半に渡ってトイレに座り続ける息子と向き合いました。うんちのついたパンツを1日何度も洗う日々が1年以上続き、トレーニングの最終段階では、家にいる時はパンツなしで生活していました。
2語文(ママ トイレ)や3語文(とと お風呂に 入る)ではありますが、発語がみられ始めました。ひらがなが読めるようになったため、絵カードや写真カードではなく、ホワイトボードにひらがなでその日の日程を書いて、見せる形に変えました。
同時期に「つみきの会」に入ったお子さんと比べるとペースは遅いですが、ここにきて成長が可視化されるようになってきました。
偏食も解消しつつあり、カレーやカツ丼、スパゲティなども食べられるようになったため、外食の時に「お子さまセット」を注文できるようになったのはうれしかったです。
初夏にはイチゴ(越後姫)、秋にはブドウ(シャインマスカット)がマイブームになり、休日に直売所に出掛けると、勝手に買い物カゴに入れてきました。越後姫はともかく、シャインマスカットは高価でそうそう買えないため、何とか言いくるめて直売所に近寄らない時期もありました。
■頑丈な自閉症児、なんと小学生に 6歳 (2017年12月〜18年11月)
「重度自閉症・中度知的障害児」であるわが息子がランドセルを担いで近所の小学校に通う日が来るとは…。
息子が入った支援級のクラスは1年生2人に先生1人、支援員さん2人と非常に手厚い態勢でした。普通学級にも机が用意され、息子とクラスメートの2人は支援級と普通級の教室を行ったりきたりする形で、健常児のお子さんたちとも自然な形で交流できるのがありがたいです。
通学路や公園などで児童から「●●さん(息子の名前)だ。こんにちは」と声を掛けられることも多く、うれしくなります。
障害児について専門的に学んだ先生が多い支援校と違い、支援級の場合はあまり障害児に触れたことがない先生もいると思われますので、先生と保護者のコミュニケーション、連携は支援校以上に重要になってくると痛感しました。
学校に行くのを嫌がることは一度もなく、逆に休日に「学校に行きたい!」と言うほどでした。
私生活では、年長組の冬(17年11月)に購入したストライダーがずっとマイブームで、雨でも吹雪でも猛暑でも公園や田舎道で乗り続けていました。おかげでバランス感覚も養うことができました。オススメです、ストライダー。
冬には、夫婦揃って初めてインフルエンザにかかったのですが、息子にはなぜがうつらず、変わらない屈強さを見せつけてくれました。
これは自閉症特有なのでしょうけど、生活パターンを覚えると、「とと 6時40分に起きる」「火曜日 ゴミ捨て 行く」「5時 ご飯を 食べる」などと言っては、両親にもその通りに行動するよう促してきます。これは案外重宝していて、息子のおかげで燃えるゴミの日を忘れないで済んでいます。
だいぶ前に読んだ発達障害児のママさんの文章で「子どもがいろんなことを律儀に覚えているので、メモ帳代わりになる」と書いてたのがありましたが、まさに同じような感じです。記憶力がいいのでしょう。しかし、その特性をどう生かし、息子が「より生きやすく」なるためにどう役立てるか、まだアイデアが浮かびません。
■ものすご〜くスローではあるが前進 7歳 (2018年12月〜19年8月)
7歳になって以降の話は、ブログの「療育・子育て」カテゴリーで書いていくことになると思いますので、ここではざっくりと箇条書きで。
- 時計を1分単位で読むことができる
- 同じ公園で3時間遊ぶことができる
- ズボンとパンツを全部下ろさなくても男性用小便器で用を足せるようになる
- カフェオレを作ってくれる
- 両親のスケジュール管理をしたがる
時計については、最初は5分単位で読むように教え、できるようになったら1分単位にステップアップしました。息子もうれしいようで、時計があると大きな声で時間を言うようになり、そのたびに褒めています。
カフェオレは、コーヒーメーカでコーヒーができると、われわれ夫婦のカップを戸棚から出してきて注ぎ、冷蔵庫から牛乳のパックを出してきて注ぐーという一連の作業を率先してやります。
何もできなかった息子が、自分なりに両親のお世話をしようとする姿は感動的です。健常児が1カ月でできるようになることに1年かかるといった調子ではありますが、着実に成長はしています。
しかし、ドアに対する執着が薄れる気配が全くありません。買い物や外食に出掛けようと、日帰り温泉に行こうとも、電車に乗ろうとも、常に最大の関心事はドア。息子はぼくが休みの時はいつも「温泉に行きたい」と言ってくるのですが、一番の楽しみは温泉ではなく、内風呂と露天風呂の間にあるドアの開閉なんですよね。いつか飽きるのでしょうか?